滝坂ご坊
猿爪村に住む孝行息子が、母親の遺言である「大和の金峰山 蔵王権現で修行をし、病気で困っている人々を助けなさい」を忠実に守った。そして水上村の滝坂で、小さな祠で行を積みながら村人の病気治癒の祈祷をして、一生を終えた。村人は行者の徳を称え石造と祠を建立した。いつしかお参りすると難病にこ利益があると評判になった。しかし、近くでお参りすると人なつこい行者様が負ぶさるといわれ、誰もが遠くからお祈りし、遠慮しながら清掃をするようになったと伝えられている。
(陶町の歴史散策マップより)
滝坂ご坊
何時の頃か、水上滝坂に住みついた行者ご坊は、行を積みながら村民の病気治癒の祈祷をしていたと云う。
小さな祠の中でこの行者は、一生を終ったが、近所の人々は今もって基の徳をたたえ、石像と小祠を建てて、祀っているが、人なっこい行者で、余り近くでお詣りすると、その人に負ぶさるとか、誰言うともなく言われるようになり、近頃では、何となく遠慮しながら遠くから祈ったり、清掃したりしてるようである。難病はよくお詣りすると効目があるとかで、お詣りの人を時折り見かける。
不動滝の石仏群
道上にある滝坂ご坊よりさらに30m登った山中に、享保19年(1734)の観音像をはじめとして役行者・不動尊像が祀られている。
滝坂の石仏群は中馬街道と旧国道とが別れた直ぐの右手の山中にあります。市指定のハナノキの手前右奥で文化3年(1806)の不動石像は道からも見え、その奥に享保19年(1734)の観音石像や寛政9年(1797)の役行者石像らを中心とする滝坂石仏群があります。左端の明和6年(1769)らの三体の観音石像など何んとも可愛いお顔です。