白倉大敷 村灯篭 名号碑・西国三十三所 道標 岐阜県 瑞浪市 日吉町
安永七年(一七七八)の大山の馬頭観音が旧道沿いに建ち、さらに大山の弘法堂境内には元禄十三年(一七〇〇)に助郷村中が寄進した水鉢・灯寵が残り、ここ大敷辻には「右ほそくて道」の道標もあって、この道が助郷村々にとって重要な道であったことがわかる。雨降洞辻から上白倉ー細久手への旧道にも馬頭観音ほかが建てられ、今も旧道をたどることができます。
日吉白倉大敷には名号と三十三所を併記した安政四年(一八五七)のものがあります。
村灯籠
白倉村
瑞浪市日吉町2492-2
四角型(神前形)
239cm
常夜灯 天保十五年甲辰○○○○ 天下泰平 大小神祇 村中
(村灯篭より)
道標
日吉町白倉大敷辻 ・瑞浪・日吉本郷方面から細久手・御嵩宿への大敷辻・「右ほそくて 左つばし道」 ・自然角石
市水道白倉ポンプ室から少し入った白倉大敷の旧助郷道の辻です。天保十五年(一八四四)の辻灯篭と安政四年(一八五七)の名号碑が目当てです。道標には「右ほそくて 左つばし道」とあり、ここから中山道津橋への近道があったのです。「右ほそくて」の旧助街道を締らめて県道へ出、新築成った日吉小学校を左手に見、中学校入口を過ぎると雨降辻です。
名号碑
日吉町白倉大敷辻(安政四・一八五七・自然石碑・丁巳十月・西国三十三所)
江戸末期のものの中には、半原生平辻のもののように「五穀成就 村中安全 人足手伝組中」としたり、白倉大敷辻の「西国三+三所」や、本郷小塩の「西国三十三所 四国八十八所」の供養塔を兼ねたものなど願文を刻んだものも見られるようになります。
西国三十三観音霊場順拝記念碑
日吉町白倉大敷辻(安西四・一八五七・自然石・西国三十三所名号共)
馬頭観音
日吉町白倉大敷辻(嘉永二・一八四九・文字碑・旧助郷道沿)
日吉町白倉大敷辻の嘉永二年、釜戸町光春院の安政七年、同町上平樋カ沢の万延元年のものと、このころから「文字碑」が造立され始めます。
三十三所観音供養(文字)碑
日吉町白倉大敷辻(安政四・一八五七・文字碑・西国三十三所・名号とも)