上山田 神明神社
瑞浪市山田町1146・1147
【祭神】天照大神
【例祭日】10月15日に近い日曜日
【由緒】正中年中創祀。本社の創立は、古老の伝える処によれば、時の領主土岐頼兼公士民に忠君の志を養うために天照皇大神の神霊を奉斎され、地を卜して本村字西洞に堂宇を建立した。後、領主が国に殉じたため、村民挙げて本社の維持に努め、大永6年(1526)時の領主土岐頼芸の臣日置新左衛門尉藤原俊久を遣わして本殿を改築し、同年8月16日遷宮式を行い、村領田一反歩を与えられた。以来この地を神田という。又、伊勢神宮の例に倣い、21年毎に本殿を改修或いは屋根替を行い、延享3年(1746)8月16日時の領主遠山氏が参拝した。田八畝十五歩を奉納された。境内七反五畝歩老樹森々として生育している。本殿荘厳にして宝物は玉鏡剣であり、四囲に玉垣を繞らせて、石灯籠その他完備している。平成17年より平成23年に掛けて駐車場を整備し、本殿。幣殿。拝殿。手水舎を改新築し、神社の社風を一新した。
(岐阜県神社名鑑より)
祭神 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
神明神社
瑞浪市山田町1146・1147番地(上山田)
市内最古の棟札所蔵
東鉄バス(瑞浪—駄知—多治見)の石橋バス停のそばから小さな橋を渡り、曲がりくねった坂を登って行くと一の鳥居と二基の燈籠があり、そこから前方に二の鳥居と社殿を望むことができます。
この神明神社には、大永6年(1526)12月、日置新衛門尉藤原俊久創建と記した、 市内の神社では最も古い棟札が所蔵されています。日置新衛門という人のことはわかっていませんが、大永6年というのは室町幕府12代将軍義晴の頃で、川中島の戦より30年も前の事です。
さらに、元亀・寛永時代のものから江戸時代の棟札もたくさんあり、古い歴史をもつ神社であることがわかります。
拝殿から渡りでつながった本殿は立派な流造で、左右に末社秋葉神社と稲荷神社が祀られています。
二の鳥居の再建と境内の整備
拝殿の手前にある二の鳥居は、昭和6年観音講連中という信心深い方々によって奉納されたものでしたが、十年程前に地すべりで倒壊してしまいました。 この後、再建が懸案となっていましたが、平成9年に立派に建て直され、同時に石垣や石畳の大改修が行われてたいへん美しく清々しい境内になりました。
昔の祭と今の祭
宝暦13年(1763)8月16日に行われた祭礼の記録がありますが、それを見ると、獅子舞の役だけでもたいこ、獅子、きょく、ふえ、ささ鳥、おかめ、調、せうぎ、どうけ、れいわん 等と、ずいぶんたくさんあり、村民挙げての盛大な祭であったと想像できます。
戦後間もない頃までは、他の神社同様、着飾った馬主役が背にオマントをのせた馬を曳いたものですが、今では子供御輿の区内練り歩きと厄落しの餅投げだけになっています。
数多い表忠碑・従軍記念碑
参道の傍らに築山があって、そこに西南戦争から日清、日露、日支事変、大東亜戦争に至るまでの立派な表忠碑や従軍記念碑が建立され、護国の英霊と従軍者に対する人々の熱い思いが伝えられています。
(瑞浪市の神社[H10発行]より)