雨乞い踊りの一種で、産土諏訪神社への奉納神楽として男子は白の狩衣に烏帽子をかぶり、女子は青白の振り袖に一文字笠をかぶり、男女とも扇子と笹の小枝を持ち地方の拍子木に合わせて中学生が踊ります。歌詞に伊勢神宮や二見ケ浦などの風物詩が唄われていますが創作年代は不明です。
諏訪神社
諏訪神社は信光寺の建立と共に、延友三郎兵衛信光の心願により勧請されたもので、信光の業績のひとつとして、その社前に掲げられている由緒を紹介します。
郷社 諏訪神社 由緒
當社の祭神は建御名方の神にして 大国主大神の御弟神なり 當社創建は 永禄八乙丑年正月美濃国土岐郡住人延友三郎兵衛信光の心願なり 當村字諏訪洞と言ふ地に勧請せり 其の後 延宝の頃 當社地 則ち天神ケ森へ遷坐し闔村氏神と仰ぐ此地を住古より 天神森と唱ふ 土岐全村の聴鎮守なり 土地開拓と五穀豊鏡を守らせ給ふ神なり
明治六年一月十三日郷社に列し 明治四十年二月二十七日幣帛料供進社格となる
御本社は信州諏訪郡中明村に在り 官幣中社諏訪神社是なり
昭和五年十月十日 社司 丹羽 森一誌
寄付 土岐町段 中村 長五郎
諏訪神社例祭 鶴城笹踊り
諏訪神社は永禄8年(1563)、鶴ヶ城主土岐信光が建立したと伝えられる由緒あるお宮です。
毎年10月の第2日曜日に行われる秋の例祭「笹踊り」は土地の守り神である諏訪神社に奉納されます。
この「鶴城笹踊り」は、農民の雨い踊りの伝承に従うもので江戸時代中期から後期にかけて最も盛んであったといわれています。例祭当日には、男子は白の狩衣に風折れ帽子をかぶって白い鼻緒の草履を履き、女子は青白の振り袖に一文字笠をかぶり、赤い鼻緒の草履を履きます。そして、男女とも扇子と笹の小枝を持ち、地方(じかた)と呼ばれる伴奏者の拍子木と唄に合わせて踊ります。明治維新後は数々の戦争などで中止と復活を繰り返してきましたが、
昭和52年(1977)、市の無形文化財に指定され、有志による保存会を結成して継承活動を行っています。
鶴城笹踊り 歌詞
おもしろの賑わいは 神をいさめの音のよや イーヤ アーレ
どんどとなるは ひょうしよく なると トコトン
ならぬは 袖降る 手拍子 ソレ ソレ ソレ ソレ ソレーナ
しめて シャントエ ヘッキャ チンチン チンレツ トチレッシャン
おうよ あわぬよ 千早振る 神は昔の ふた柱 天の トコトン
岩屋で 開くや 梅の 見事さよ
ヘッキャオーイ
伊勢に 宇治橋 内宮や下宮や 八十末社の宮巡り
あいの山では おすぎにおたま ソーレ
しまさん こんさん なかのりさん
岩戸さんへは 道続き ソーリャ 二見が浦では浅間山
もんせき いそべ ヘッキャ びくにん 代代 神楽に
これなもし あがりゃんせ ヘツキャオーイ
おめでたや ただいつまでもこの舞台 変わらぬ花のかんばせや
にぎおうみよの さとかぐら ヨーイ チリント チントテシャン
(謡)千秋万才 万万才 祝い納むる 舞の曲
土岐地区まちづくり推進協議会
(現地看板より)






















































瑞浪市土岐町鶴城 諏訪神社地内
瑞浪市教育委員会 スポーツ文化課 TEL.0572-68-7710
開催 10月第2日曜日
中央自動車道瑞浪ICより15分 JR瑞浪駅下車タクシー10分