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笹踊り 諏訪神社 瑞浪市土岐町鶴城

 諏訪神社は、南北朝時代に土岐氏の崇敬を受け、永禄8年(1565)には、鶴ヶ城主土岐信光が再興したと伝えられています。御本尊は、ひのきの曲げ物に入った男女の人形です。
 笹踊りは雨乞い踊りの伝承に従うもので、諏訪神社の奉納神楽として江戸時代中期が最も盛んでした。作詞・作曲は不明ですが、伊勢信仰の影響を受けて、二見ケ浦や伊勢神宮の風物詩が唄われています。
 昭和52年(1977)に瑞浪市の無形民俗文化財に指定され毎年10月に行われる諏訪神社の祭礼に奉納されています。


郷社 諏訪神社 由緒
 當社の祭神は建御名方の神にして 大国主大神の御弟神なり 當社創建は 永禄八乙丑年正月美濃国土岐郡住人延友三郎兵衛信光の心願なり 當村字諏訪洞と言ふ地に勧請せり 其の後 延宝の頃 當社地 則ち天神ケ森へ遷坐し闔村氏神と仰ぐ此地を住古より 天神森と唱ふ 土岐全村の聴鎮守なり 土地開拓と五穀豊鏡を守らせ給ふ神なり
 明治六年一月十三日郷社に列し 明治四十年二月二十七日幣帛料供進社格となる
 御本社は信州諏訪郡中明村に在り 官幣中社諏訪神社是なり
 昭和五年十月十日  社司 丹羽 森一誌
 寄付 土岐町段 中村 長五郎


諏訪神社例祭 鶴城笹踊り
 諏訪神社は永禄8年(1563)、鶴ヶ城主土岐信光が建立したと伝えられる由緒あるお宮です。
 毎年10月の第2日曜日に行われる秋の例祭「笹踊り」は土地の守り神である諏訪神社に奉納されます。
 この「鶴城笹踊り」は、農民の雨い踊りの伝承に従うもので江戸時代中期から後期にかけて最も盛んであったといわれています。例祭当日には、男子は白の狩衣に風折れ帽子をかぶって白い鼻緒の草履を履き、女子は青白の振り袖に一文字笠をかぶり、赤い鼻緒の草履を履きます。そして、男女とも扇子と笹の小枝を持ち、地方(じかた)と呼ばれる伴奏者の拍子木と唄に合わせて踊ります。 笹踊の踊手は十人で衣装は、男子は白の狩衣(かりぎぬ)に風(かざ)折れ烏帽子(えぼし)をかぶり、白い鼻緒のぞうりをはき、女子は青白の振袖に一文字笠をかぶり、赤い鼻緒の草履を履きます。そして、男女とも扇子と笹の小枝を持ち、地方(じかた)(伴奏者)の拍子木と唄に合わせて踊ります。奏者は、太鼓一 (一人)笛二本(二人)拍子木ーツ(一人)唄方ニ人です。この神楽は明治維新の頃から中絶していたが日露戦争の戦勝祝賀として、村の若衆によって復興されたと云われています。昭和52年(1977)、市の無形文化財に指定され、有志による保存会を結成して継承活動を行っています。

笹踊りの歌と手振り

 面白の(肩を右手に持ち右足を左前に出し両手を左前に出し之を相互に三回)
 賑は(両手を上より左右下に廻す)
 神を諫めの音のよや(扇を開き前にて両手に持ち礼をなし左足及び扇を後に引く)
 イーヤアーレ(合の手)どんどと鳴るは拍子よく(前後にて扇と左手にて打つ、六回)
 鳴ると(右手を前に出す)トコトン(合の手)
 鳴らぬは(左手を前に出す)
 袖振る手拍子(両袖を左右に振る)
 ソレ ソレ ソレ ソレ ソレーナ(左手足を前に出し相互に四回右手足を引き左へあしを前に出す)
 占めて(手足を引き左手にて扇をだく)
 シャントエ (右手にてまえの人の肩下をもつ)
 ヘッキャ チンチン チンレツ トチレッシャン(合の手)
 逢う夜逢わぬ夜(両手を左下より上に廻し右前に出し相互ニ三回)
 千早振る(扇を開き右より一回廻る)
 神は昔の(扇をすぼめて両手を前に出す)
 二柱(両手をまげる)
 天の トコトン 岩戸で(両手を前に上げ右手を斜右に出す)
 開くや梅の(扇を左右に振る)
 見事さよ(おうぎをすぼめ両手に持ち礼をして下がる)
 (ニ番以下すべて手振りは異なるが振は削略)

 伊勢に 宇治橋 内宮や外宮や 八十末社の宮巡り
 あいの山では おすぎにおたま ソーレ
 しまさん こんさん なかのりさん
 岩戸さんへは 道続き ソーリャ 二見が浦では浅間山
 もんせき いそべ ヘッキャ びくにん 代代 神楽に
 これなもし あがりゃんせ ヘツキャオーイ
 おめでたや ただいつまでもこの舞台 変わらぬ花のかんばせや
 にぎおうみよの さとかぐら ヨーイ チリント チントテシャン
 (謡)千秋万才 万万才 祝い納むる 舞の曲


瑞浪市土岐町鶴城 諏訪神社地内
瑞浪市教育委員会 スポーツ文化課 TEL.0572-68-7710
開催 10月第2日曜日
中央自動車道瑞浪ICより15分 JR瑞浪駅下車タクシー10分


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