土岐町桜堂 桜宮神社
瑞浪市土岐町5767
【祭神】素盞嗚命・伊邪那美命
【例祭日】10月第2日曜日
【由緒】桜宮神社の創建は不明。最古の棟札として享保3年(1718)再建のものが残されていることから、これ以前であることは確かである。
この頃、桜堂村には、熊野大権現が村の氏神として守口地区に、法明寺(桜堂薬師)に山王権現が寺の守護神として祀られていた。時を経て明治4年に、熊野大権現が熊野神社として、山王大権現が桜宮神社として、今の場所に社殿が移された。この二社は、それぞれ独立した神社として崇められ、明治40年に合祀されて桜宮神社となった。
本殿は、大正時代に奉建された流造銅板葺の立派な建物で、周りが木製の屋根付き瑞垣で囲まれている。
(岐阜県神社名鑑より)
祭神 素戔嗚命(すさのおのみこと) 伊邪那美命(いざなみのみこと)
桜宮神社
瑞浪市土岐町5767番地(桜堂)
二社合祀の桜宮神社
桜宮神社の創建は不明ですが、最古の棟札として享保3年(1718)再建のものが残されていることから、これ以前だったことは確かです。
この頃、桜堂村には、熊野大権現が村の氏神として守口地区に、法明寺(桜堂薬師)に山王権現が寺の守護神として祀られていました。
時を経て明治四年に、熊野大権現が熊野神社として、山王大権現が桜宮神社として、今の場所に社殿が移されました。
この二社は、それぞれ独立した神社として崇められていましたが、明治40年に合祀されて桜宮神社となりました。
豪華な本殿と舞台
本殿は、大正時代に奉建された流造銅板葺の立派な建物で、周りが木製の屋根つき瑞垣で囲まれています。
奉建の時、氏子の篤志家から高額の奉納があったために、総欅造りで、四方の柱には太い柾材を使った豪華な本殿が建ち、桜堂の人たちの誇りとするところになりました。
境内に建てられている回り舞台で、昔は地元の人たちの芝居や旅芸人による歌舞伎芝居が上演され大賑わいだったといいます。
間口六間・奥行四間で壁面に波模様の描かれた建物に圧倒された参拝者や旅芸人は、口々に「田舎には、できすぎた舞台だ。」と褒めちぎったということです。
例祭は組中みんなで
祭りの日になると境内に、一文銭菓子屋、のぞき屋、おもちゃ屋など、数多くの出店が立ち参拝者で大賑いだったといいます。祭事の後には、根竹・中平・羽根の3組が年毎の当番で、一重、割子弁当を持参してご馳走を振るまったといいます。
今の10月の祭例は、子ども御輿が組中を練り回って、各家毎に“おまんとう”を捧げます。大人たちは昔からの習にしたがって、一重持ち寄りで舞台での直会が恒例の行事となっています。
古老の話によると、江戸時代末から明治の初めにかけて「嫁御見せ」といって、その年に結婚した嫁さんが晴着に着飾って本堂前に座り、それを集まった人たちみんなで、いろいろと評定する行事もあったということです。
今では、とても考えられない風変わりな行事でした。
(瑞浪市の神社[H10発行]より)
桜堂桜宮神社
祭神 素盞鳴命・伊邪那美命 旧無格社 最古棟札 享保三年(一七一八)十二月再建 土岐町桜堂
古くは法明寺(桜堂薬師)の守護神ならん、旧棟札なく不明にて享保三年上葺札を最古とし宝暦以降の棟札を残す。代々法明寺住職が祭祀し、土岐三兵衛信友の家臣宮地氏代々奉祀とする。
(瑞浪市史 歴史編より)
桜宮神社
桜宮神社には、木造の阿弥陀如来坐像(二駆)、釈迦如来坐像、如意輪観音坐像、神立像、神坐像、如来坐像、十一面観音坐像が納められ、いずれも明治時代に造立されたものである。
なお、桜宮神社は山王社から名称変更したものとされ、明治四年(一八七一)の棟札が最古のものであるが、名称変更等の目的・経緯等については明らかでない。
明治四十年(一九〇七)には鎮守である熊野三所権現を合祀して現在に至るとされるが、この点についても詳細は不明である。