■ 神社 神様

多賀神社 瑞浪市土岐町桜堂

土岐町桜堂 多賀神社

瑞浪市土岐町5367
【祭神】伊邪那岐命
【例祭日】7月第3日曜日
【由緒】天保13年(1842)旧美濃国土岐郡土岐村根竹組志願により近江国多賀より勧請と記されている。古老の話によると、天宝の頃、この地域で疫病が発生し、多くの人がもがき苦しみ、果は命さえ奪われる日が続くようになり、人達は疫病退散・病気回復を願い、延命長者の神様と仰がれている御多賀様(多賀神社)を勧請し、盛大な奉建祭が斎行されて疫病はすっかり治まり、安らかで幸せな暮らしが戻った。特に戦時中は「武運長久・延命長寿」の祈願に、連日の参詣者で賑わった。
(岐阜県神社名鑑より)

祭神 伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
多賀神社
瑞浪市土岐町5367番地(桜堂)

延命長寿の神様と仰ぐ
 神社の由緒書に
 天保13年(1842)美濃国土岐郡土岐村根竹組志願により近江国多賀神社より勧請
 と記されていて、創建は百数十年前です。
 古老の話によると、天保の頃、この地域で疫病が発生し、多くの人がもがき苦しみ、はては命さえ奪われる日が続くようになりました。組の人達は、悩み、苦しみ、悲しみのなかで、疫病退散と病気からの回復を話し合いました。 
 その結果、遠い昔から延命長寿の神様と仰がれている御多賀様(多賀神社)を勧請してお縋りすることになり盛大な奉建祭が斎行されました。
 疫病はすっかり治まり、組中の人たちには安らかで幸せな暮らしがもどってきました。
 この喜びはたちまち各地に伝わり御多賀様の御加護を受けようとお詣りの人が後をたたず、特に戦時中は「武運長久・延命長寿」の祈願に連日の参詣者で賑わったといいます。

金的中の額を掲げる拝殿
 長い山坂を上りつめると社頭です。そこには、孝国天皇碑(明治18年)、幟立(昭和4年)、その奥に平成10年(桑原庄三氏)奉納の多賀神社の社標が建立され、続いて文化12年(1815)の荒神石祠が祀られています。
 御本殿は、檜皮葺流造で、平成9年に屋根葺替えが行われた覆殿の中に鎮座されています。
 本殿脇に奥行二間半、間口二間の吹抜けの拝殿が建ち、土地の人からは籠殿と呼ばれています。さまざまな祈願や感謝のお籠りが行われていたのでしょう。
 この拝殿の壁面に、今は色褪せていますが大きな絵馬と弓術で金的を射止めた12人の記録額が奉納されています。
 戦前から戦時中までの例祭には、長い山坂の参道両脇に提灯が無数に吊されて、お詣りの人が朝から夜まで続き盛大で賑やかだったといいます。
 今では、7月の例祭以外にお詣りする人も少なく、ひっそりとした社ですが、昔の人たちの神威にすがる姿が偲ばれて頭が下がります。
(瑞浪市の神社[H10発行]より)


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