■ 三十三霊場

【美濃瑞浪三十三霊場 第18番】智勝山 長見寺 瑞浪市山田町上山田

宗派/臨済宗南禅寺派
御本尊/文殊菩薩
本山/京都南禅寺

智勝山(ちしょうさん) 長見寺

 本尊仏:文殊菩薩 臨済宗南禅寺派 本山名:京都南禅寺

  瑞浪唯一の京都の南禅寺派の寺で、多治見の永保寺とおなじ宗派です。
 古くは室町末期、長命山 弥勒寺あるいは弥勒山 長見寺とも伝わっていますが、詳細は不明です。もとは現在の長命山 弥勒堂のところにあったと言われています。
 寛文元年(1661)永保寺の法縁につながる徳林院 五世 白峯祖先の弟子の巡錫僧松嶺貞が前身にはいり、同四年(1664)現在地に智勝山長見寺として再創建立しました。
 ご本尊様は三人寄れば文殊の知恵の文殊菩薩ですので、学問の仏様で、知恵授けの寺でもあります。

 寛文元年(1661)永保寺の法縁につながる徳林院五世白峯祖先の弟子の巡錫僧松嶺貞が前身にはいり、同四年招じられて現在地に智勝山長見寺として再創建立し、以降南禅寺派寺院として続いている。天保12年(1841)焼失して同15年再建されました。


南禅寺

 南禅寺は亀山法皇の帰依を受けた仏心大明国師によって開山され、正中二年(1325)には夢窓国師も住持となり、五山の制ができると建武二年(1335)には「五山第一」として禅宗最高の寺格を得て栄えました。
 多治見永保寺は夢窓国師・仏徳禅師の法縁によってそれ以来南禅寺派の道場として美濃国に隆昌してきました。



岩島 月耕(本名 幾助 円山派) 和田月堂

 文政九年(1826)月洞と同じ山田村(瑞浪市山田町)に生まれ、日吉の細久手の小木曾文洲に師事して「月耕」と号した。諸国遍歴の後、郷里に帰り絵画に専念、明治期に活躍しました。明治二十五年(1892)八月没、六十六歳。
 なお、菩提寺の長見寺には、襖などに多くの作品が残されています。
 月光揮身の襖絵等が数多く残され、四季耕作図、鷺鷹図、八仙図、群鶴図、飛天図など、月耕五十代後半から晩年までの作品が並ぶ。なお月耕の弟子と云われる月泉、月涛の作も月耕の没後相次いで寺に納められています。


三十三所観音石像

 文政ニ~六年(1819-1823) 主尊とも三十五体・完全


名号塔

 弘化五年(1848)角柱塔


三界万霊塔

 明和四年(1767)自然碑 三界万霊等 正面クマドリ
 高さ2m、幅1mという大型の自然石のものです。


秋葉社

  恭宗和尚の代に村に火災が続出し、村人の申し出で秋葉様を迎え、当時、火渡り行事まで行って、村の祭事ともなったといいます。毎年12月15日頃に区民が組交替で祭り行事を行っています。


辻灯籠(長見寺入ロ)

 文化四年(1807)の下沢と同一石工と思われる蟇股の辻灯篭があります。

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