桜堂根竹地区にある地蔵堂(弘法堂)前の「馬頭観音」は、宝暦13年(1763)に金毘羅山の南側山麓に建てられました。
近年、山の南側が崩れ、その麓にある馬頭観音が埋没してしまう恐れがあったため、現在の場所に移して祀られています。
(土岐地区 郷土再発見より)
土岐町根竹弘法堂
名号碑(塔)
(宝暦十三・一七六三・自然石碑・宝暦十三年未四月十五日)
西国・四国・秩父・坂東霊場順拝記念碑
(明和二・一七六五・弘法台石・西国四国秩父(十一人))
(天明六・一七六八・灯籠・西国四国(奉寄進御宝前))
(明治十六・一八八三・自然碑・西国四国・土岐西国)
根竹弘法堂のものは、この辻弘法本尊の台石に「西国四国秩父百五十五番 明和二年」とこの三霊場を順拝した「又十・弥兵衛ら十一人」の名があり、根竹の辻弘法はこの順拝記念としてこの年に造立されたものであることが判ります。また、ここには、天明六年(1786)の西国四国の二霊場順拝記念灯篭と明治十六年の順拝記念碑があり、明治のものには「奉納 三十三番 八十八番」に加えて「土岐西国」と刻まれています。この土岐三十三番札所は元禄八年(1695)に土岐郡下で三十三観音霊場を選んで設定した「土岐三十三霊場」のことと思われ、この時瑞浪市内では、三番山野内大慈庵(廃寺) 四番木暮信光寺 五番釜戸岩屋観音(廃寺) 六番同天猷寺 七番桜堂薬師 八番上平込山観音 九番山田旭王寺 十番小田宝林寺 十一番同慈雲寺(高松観音)の九札所が選ばれ、本当の西国・四国霊場へはとても行けない人々の深い信仰を受けたものですが、その名が刻まれていることは珍らしく特記されます。
宝暦十三年(1763)の観音石像や明治十六年の珍らしい土岐三十三所霊場の供養碑のあるのもここです。