臨済宗聖東陽英朝の開山と伝えられる妙心寺派のお寺です。穏やかな顔の慈母観音が本堂を正面から見守ります。境内の下には公民館があり子供たちの遊具も置かれて地域の憩いの場となっています。
御本尊:釈迦如来(聖観世音菩薩)
宗 派:臨済宗妙心寺派
延徳二年(1490)妙心寺派関山四門派のうちの聖沢(せいたく)門派祖東陽英朝(とうようえいちょう)の開山とされています。
宝永元年(1704)大春大和尚を招請して中興とし、三主座が住していたが、堂宇が整わず、風雨をしのぐのみという有様だったといいいます。安永年中(1772~1781)普山和尚に請うて伝法の祖となってもらい、桃竜和尚に至って法地開山とし、現在に至っています。
釈迦如来を本尊とし、聖観世音菩薩・三十三観音も祀っています。
大川林昌寺の開祖「東陽英朝」は、たいへんな高僧で土岐持頼の子と言われていますから、林昌寺建立の1490年には既に小里氏(土岐氏一族)の所領であったと考えられます。
なお、東陽英朝は大川林昌寺開山後、法雲山定彗寺(岐阜市)、龍慶山少林寺(各務原市)などを次々に開山し晩年は八百津に住み天寿を全うしたようです。
林昌寺は恵那新四国八十八所霊場の二番札所にも選ばれ、寺への入ロの辻には享保17年の三界万霊塔や寛延2年(1749)の霊場巡拝記念碑などもあります。観音堂へも是非合掌して今日の巡礼の旅が無事終ったお礼をしましょう。
聖観音 西国三十三観音霊場順拝記念碑
林昌寺入口辻
(寛延二・1749・光・立・左蓮華・右宝珠か)
林昌寺入口辻の同年のものは「西国巡礼同行中」による造立で、右手に宝珠を持っ像形に彫られています。
地蔵菩薩
林昌寺入ロ
(明治34・1901丸・立・両手で宝珠を捧ぐ)
林昌寺入ロのものは、水上地蔵堂と同じ両手で宝珠を捧げるこれもまた特徴のある像形に彫られています。
万霊塔
林昌寺辻
(享保17・1732・笠塔婆・三界万霊等・願主吉川氏)
陶町林昌寺辻のものは笠塔婆型で「享保十七壬子歳四月 施主大川村住吉川伝兵衛」とあり、西国巡礼連中による聖観音像や地蔵尊石像と並んでいます。
うさぎ岩
うさぎ岩に関する昔話は、「月から降ろされたうさぎが、満月の夜に月に帰ろうとしたが、夜が明けてしまい岩になってしまった。」という。
明治14年に猿爪宝昌寺、大川林昌寺の総本山である京都妙心寺の管長荻野独園(どくおん)氏がこの地を訪れた際、うさぎ岩を見て漢詩を詠まれました。
「山が背後に夕陽を受けて、その岩の形がまるで黒いうさぎが座っているような格好に見えるので、私はふと昔この辺りを神の使者として治めていたという石のうさぎの伝説を思いおこして、何度もその山を見入っているのです。」
荻野管長による書額が大川林昌寺本堂に掲げられています。
岩は目測で周囲30m、高さ6mほどで、登山道途中のビューポイントからの眺めは、うさぎ岩もさることながら十三塚方面の眺めもなかなかのもんです。