御本尊:聖観世音菩薩
宗 派:臨済宗妙心寺派
この観音堂は、貞享年間(1684~1688)に創立されたものです。
その後、元禄4年(1691)・享保8年(1723)・安永7 年(1778)・天明7年(1787)と度々堂宇を改造営し、現在のお堂は弘化3年(1846)に再建立されたものです。
羽廣の観音様の絵天井と親しまれてきたお堂でしたが、昭和58年4月火災のため、惜しくもその貴重な天井を失ってしまいました。幸い全焼を免れて、大部分は建立時の跡をとどめています。
ここには、弘法大師・地蔵尊を併せ祀り、昔は新秩父第十八番・弘法第四十八番・土岐四国第五十一番の霊場札所でした。
境内には延享2年(1745)から明治20年に亘って建立された石仏・名号碑・念仏供養塔などが現存し、ムクロジ(無患子)の木が生えています。
御詠歌
花よりも うるわしはびろの 観世音
じひのみ光り おりにあふれて
念仏供養塔
(元禄十六年・1703)
羽広観音堂の元禄十六年ほかの三基のものが古く立派である。
名号塔
(享保三年・1718・板碑形)
44cm×高115cm
南無阿弥陀仏
享保三戊戌年
地蔵菩薩
(延享二年・1745・光・立・宝歴五ら墓碑地蔵四体)
聖観音石像
(寛政二年・1790・光・立・舟形光背浮彫立像)
寛政二戊三月 日
講中六人 上部欠損
四角型燈寵
(寛政八年・1796)
角竿 182cm 39cm
刻銘 竿部
奉建立 夜念佛連中
寛政八丙辰七月十四日
名号塔
(寛政八年・1796・自然石)
64x65x146cm
南無阿弥陀仏
寛政八丙辰七月吉日
念佛供養塔
千手観音
(文化十三年・1816・舟形光背浮彫立像)
文化十三天七月十八日
「中央で折損補修あり」
馬頭観音
(文化十五年・1818・立・一面二臂・旧三州街道沿)
名号塔
(天保九年・1838・山状角柱石)
21x19x67cm
南無阿弥陀仏
天保九戊戌三月八日
沢井佐仁良 鈴木平吉母 和田宗助母
名号塔
(天保十三年・1842・自然石)
30x123cm
南無阿弥陀仏
天保十三寅霜月
善光寺念佛連中
善光寺如来三尊碑
(天保十三年・1842・名号碑・善光寺念仏連中)
絵句天井 奉納句歌額
(弘化三年・1846・48枚・焼失)
弘化三年の絵句天井48枚がありましたが、残念ながら昭和58年4月焼失してしまいました。郷土小里の画人 和田月洞(道政・山田生れ・円山四条派)による花鳥を中心にした絵に句を添えたものでした。
聖観音石像
(嘉永二年・1849・舟形光背浮彫立像)
嘉永己西九月十八日
三十三所観音供養(文字)碑
(明治二十年・1887・文字塔・西国三十三所・山伏角柱石)
稲津町羽広観音堂のものは42cm角・高さ2.1mという立派なもので「観音講中」による造立です。
奉納
西国三十三所
明治二十年丁亥三月十八日
世話人
渡辺 幸助
熊沢竹五郎
和田 藤吉
台石に
観世音講中
手洗石
自然石加エ
上34cm×57cm×高100cm