■ 三十三霊場

【美濃瑞浪三十三霊場 第10番】天眼山 大通寺 瑞浪市土岐町

御本尊:聖観世音菩薩
    悲母観世音菩薩
宗 派:臨済宗妙心寺派

 臨済宗妙心寺派の禅寺で、本尊は聖観世音菩薩です。創建当時は猿子砦の一角にあり、江戸時代初期(承応(じょうおう)2年 1653)、愚堂国師(ぐどうこくし)の弟子で堅室祖益首座(げんしつそえきしゅざ)によって、八百津町大仙寺の末寺として創建されました。
 創建当時は「大法山天眼寺」と名付けられましたが、第二世の頃、現在の寺名に改名されたと思われます。
 寺は猿子城跡の一角に建てられましたが、現在より一段低い所にあり、江戸末期第六世徳洲和尚の代、現在地に移されました。
 古文書によれば、移築に10年の歳月を要し、本堂は新築、庫裡は木ノ暮の小栗氏より、又鐘堂は桜堂法明寺より移築されたと記されています。
 第二次大戦後、位牌堂、山門、茶室、書院等が造られ、現在の伽藍配置となりました。
 昭和7年にはここに啓明保育園が開設されました。

御詠歌
観音の み手にすがりて
 あそぶ子に
  じひはあまねし てんげんのまつ



延命地蔵

(文政七・1824)
 信州高遠の石匠守屋貞治作の半跏趺坐(はんかふざ)像の延命地蔵です。願王和尚の筆による「摩詞薩(まかさつ)」の文字が刻まれています。


大通寺の釈迦三尊(さんぞん)杉

 本堂裏(北側)に、樹齢170数年と見られる釈迦三尊杉とよばれる3本の杉がそびえています。釈迦三尊像の「お釈迦様」の姿を表すかのように、真ん中の「釈迦杉」は、両側の2本よりも背が高く立派な姿をしています。左側の「文殊」の杉はてっぺん部分が枯れていますが、反対側「普賢(ふげん)」の杉は一番葉を繁らせています。
 この3本の杉がお寺を守るかのように立つその裏手には、昭和27年(1952)位牌堂落慶記念の杉が60~70本植林されています。


地蔵菩薩 尊号碑

(享和二・1802・尊号・自然石・文字碑・南無地蔵菩薩・水野氏)
 市内最初の文字碑


納経塔

(弘化四・一八四七・納経塔・経塚・角柱塔)
 大通寺の納経塔も柱塔で「経塚 弘化四丁未七月 水野氏」とだけあるもので経塚の銘文から納経塔というよりも埋経塔といった感じの塔です。


万霊塔

(寛政四・一七九二・角柱塔・三界万霊塔)
 土岐町大通寺、同町正源寺、釜戸町宝珠寺とこの寛政年間には市内で相次いで万霊塔が造立されていて、各寺院の境内が一段と格調高く整備されて行く様子が知れます。


諸神諸仏勧請塔

(諸神諸仏勧請塔 寛政十ニ(1800)庚申五月如意敬日)

 日本全国の神社仏閣の諸仏 諸菩薩 諸天善神を勧請し、合わせて世界に遍満する神々をも共に迎えて奉安して、日夜平和と人類の平安を祈願するというものです。


 悲母観音菩薩

 昭和57年4月、境内仏として「悲母観音菩薩」を建立しました。子ども達が健かに育ってくれるようにとの母の願いをこめて建てられました。


猿子(さるこ)城跡

 安元元年(1175)頃に土岐光衡は神戸城を本城にして、鶴ヶ城・猿子城・宇留輪城などを配します。猿子七郎国行が猿子砦の主でした。
 砦跡には、石詞(天明六年・1786)が祀られています。
 築城の様式は、鎌倉時代の名門吉良氏により築かれた東京世田谷の豪徳寺城内の世田谷城の様式と同じ造りといわれています。
 国道19号線バイパス工事により少し削られましたが、ここから瑞浪市街はもとより、東は鶴ヶ城、西は土岐市まで見渡せます。 
 市原四郎国宗は国氏の弟で猿子四郎ともいい「宇留輪城」の主で、城跡は土岐町市原の南の山にあり狼火(のろし)場でもあったといわれています。

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