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神明神社 瑞浪市釜戸町大島

釜戸町大島 神明神社

瑞浪市釜戸町3093(大島)
【祭神】天照大神
【例祭日】10月第2日曜日
【由緒】この神明神社は、延宝7年(1679)12月伊勢の大御神を勧請奉祀、旧大島村の産土神として村民の信仰が捧げられてきた。幾度かの増改築がなされてきたが、新しいところでは、昭和3年神殿、拝殿の改築、昭和9年社務所改築、昭和35年には、渡り廊下が作られるなど、着々と整備が行われてきた。例祭日、大御神は東大島にある津島神社へ渡御される。津島神社の祭神は、天照大神の弟神素盞嗚命であるから、一年に一度の兄弟の顔合わせの日になるわけである。
(岐阜県神社名鑑より)

祭神 天照大神(あまてらすおおみかみ)
神明神社
瑞浪市釜戸町3093番地の1(大島)

 この神明神社は、延宝7年12月(1679)伊勢の大御神を勧請奉祀、旧大島村の産土神として村民の信仰が棒げられてきました。
 幾度かの増改築がなされてきましたが、新しいところでは、昭和三年神殿、拝殿の改築、昭和9年社務所改築、昭和35年には、渡り廊下が作られるなど、着々と整備が行われてきました。

災いの総て防がるありがたさ
 歴史を調べてみると、この神様のお陰でいろいろな災害から村が守られ、よその村に負けず氏子たちが幸せをいただいた例がいくつかあり、神恩の深さに感謝しています。

大御神 津島たずねて仮の宿
 例祭日、大御神は東大島にある津島神社へ渡御されます。津島神社の祭神は、天照大神の弟神素盞嗚命(すさのおのみこと)ですから、一年に一度の姉弟の顔合わせの日になるわけです。
 東大島を苅宿といいますが、大御神の仮の宿という意味でも興味深いところです。

奉納の旗いっぱいの稲荷様
 境内には稲荷神社が祀られており、たくさんの旗や鳥居が奉納されています。
 末社として稲荷様を祀っている神社はたくさんありますが、この稲荷神社は社殿も石玉垣も特に立派なものです。

ペトログラフ発見の不思議
 平成8年4月、大阪大学の先生が、恵那市から頼まれてペトログラフ (岩に刻んだ古代の紋様、文字)調査のため、車で19号線を通られました。その車が神明神社の前へ来た時、不思議な霊感に打たれ、境内の大岩に上ってみられると、あゝ不思議、そこに今から数千年前の縄文時代に刻まれた紋様があったのです。
 正に、驚くべき発見でした。
 境内には、面白い形の巨岩がまだいくつかあります。
(瑞浪市の神社[H10発行]より)

境内灯篭

享保九年・1724・対・円・大島村中

神明神社歴史

対象区 東大島 中大島 西大島 竜吟区

天照大神

 古事記·日本書紀に記載あり
 太陽の女神 総本社は伊勢神宮・内宮
 国内に神明神社数 18,000社
 弟の神素戔嗚尊が手に負えず天岩戸に隠れ、世の中真っ暗闇に、神様たちは岩戸の前でお祭り大神扉を開けて出る

神明神社の歴史

津島神社の歴史
 正徳三年六月美濃園土岐郡釜戸村住人大山孫兵衛心願により創立。古来村社更に明治六年一月十三日村社に列す。その他縁由等不詳

〒509-6472 岐阜県瑞浪市釜戸町3093番地の1

 延宝7年12月(1679年)伊勢の大御神を勧請奉祀(かんじょうほうし)、旧大島村の産土神として村民の信仰が捧げられてきた。幾度かの増改築がされたが、最近では昭和3年(1928年)神殿、拝殿の改築、昭和9年(1934年)社務所の改築、昭和35年(
1960年)渡り廊下が設置された。
 歴史から見るとこの神様のお陰でいろいろな災害から村が守られ、よその村に負けず氏子たちが幸せを戴いた例が数多くあり神様のご恩に感謝されている。
 例祭日、大御神は東大島にある津島神社へ渡御される。津島神社の祭神は天照大神の弟神素戔嗚尊(すさのおのみこと)であり一年に一度の姉弟の顔合わせの日となっています。
 東大島を刈宿といいますが大御神の仮の宿と言う意味でも興味があるところです。
 境内には稲荷神社が祀られ沢山の旗や鳥居が奉納されています。末社として稲荷様を祀っている社は沢山ありますが石玉垣も特に立派なものです。
 平成8年4月大阪大学の先生が恵那市から頼まれてペトログラフ(岩に刻んだ古代の紋様·文字)調査のため車で19号を通過され、その車が神明神社の前に来た時不思議な霊感に打たれ境内の大岩に上がって見られたところ不思議なことに数千年前の縄文時代に刻まれた紋様がありました。まさに驚くべき事柄でありまだ境内には面白い形の巨石がいくつかあります。

(現地案内にて)


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