文化12年(1815)水洗観音堂建立
立派な石造の常夜燈には浅間神社・大小神祇・常夜燈、郷中安全、明治
五年等と刻まれています。濃尾地震(明治24 年)により笠の一部が欠けています。
馬頭観音(文化12年 1815)、宝生地蔵(天明□年1781~1788)、二十三夜塔(月待塔 文久元年 1861)等があり、集落の女性たちが二十三夜に月を待ちながら勤行し飲み食いを楽しんだ姿が偲ばれます。
如意輪観音
舟形光背浮彫輪王坐像
稲津町萩原水洗観音堂(明和三・一七六六・光・坐・二臂・思惟・台石)
稲津町水洗の中平観音堂のものは、 一般的で小形のものですが、愛矯のある像容で「明和三丙戌年 女人講」とあり、二十三夜月待碑も並んで造立されていて、この地区の女人講による二十二夜月待行事の主尊として造立された如意輪観音石像であることが判ります。
二十三夜碑(月待塔)
稲津町水洗観音堂(文久元・一八六一・文字碑・二十三夜・日月輪刻彫)
文久元年のものは日月輪の刻まれた文字碑で 「二十三夜 文久元年冬」とあるものです。
馬頭観音
駒形陰刻浮彫立像
刻銘 文化十二亥(一八一五)六月十八日
宝性地蔵
舟形光背浮彫
刻銘 天明□(一七八一~一七八八)七月 日