■ 中山道, ○ 日吉地区, 細久手宿

中山道 細久手宿

細久手宿 瑞浪市観光協会

細久手宿 瑞浪市観光協会
広重画「木曽海道六拾九次 細久手宿」

 細久手宿は江戸から48番目の宿で、江戸へ92里、京都へ42里の位置にあり、東隣りの大湫宿と西隣りの御嶽宿の両宿間は4里半と長く、両宿の人馬が難渋したため、慶長11(1606)年に仮宿を設けたのが始まりです。宿内の町並みは東高西低で、東の茶屋ヶ根から西の日吉・愛宕神社入口迄が上町・中町・下町に三分され、宿長は3町45間(410m)ありました。
 枡形はつくられず、上町と下町に弓形が施され、高札場は上町入り口の庚申堂前に、本陣・問屋場は中町に、脇本陣は下町にあり、往還に沿って東西に細長い町並みでした。また家々の地割は、5間から10間と統一されていませんが、家々の境は石積みで区画整地されており、いまも新宿設置のころの施工の様子がうかがわれます。
 今では、大湫宿の場合と同様主要交通路や鉄道が南の土岐川沿いに移ったため、主要地方道65号恵那御嵩線のみとなり宿は過疎化の中でわずかに往時の姿をとどめています。

細久手宿マップ 

細久手宿内マップ
① 峠の茶屋跡
② 細久手庚申堂・同境内石造物
③ 細久手宿の高札場跡
④ 細久手公民館・公衆トイレ 駐車場
⑤ 尾州家定本陣大黒屋
⑥ 細久手宿本陣跡
⑦ 細久手宿脇本陣跡
⑧ 日吉・愛宕神社

細久手宿壁画 

中山道ぎふ17宿
細久手宿

 江戸日本橋から京都三条大橋まで六十九宿[百三十五里二十四町八間(約五百三十二キロ)]。この中山道の四分の一相当(約百二十八キロ)が美濃国、つまり岐阜県です。十六の宿場を持つ美濃中山道は山間を通る道程で、木々や渓谷に四季折々の自然の美しさがある街道です。
 木曽路馬籠宿は、景観を保存した観光地として賑わいをみせています。
 細久手宿は江戸から48番目の宿。東の大湫宿から西の御獄宿までの距離が長く、両宿の人馬が難渋したため、仮宿を設けたのが始まりです。天保14年(1843)年の記録によると、戸数は65軒、うち24軒が旅籠を営んでいたようです。家々の境は石積みで区画されており、今も新宿設置の頃の様子がうかがわれます。

The 17 Nakasendo
Post Stations in Gifu

There were 69 post stations (sometimes called “post towns”and marked with “juku” or “shuku” at the end of the post-station’s name) between Nihonbashi in Edo and SanjoÔhashi in Kyoto-a distance of 135 ri, 24 cho, and eight ken(around 532 kilometers). The section of highway that went through Mino Province, the southern area of present-day Gifu Prefecture, accounted for one-fourth (around 128 kilometers)of the entire Nakasendo Highway. This section of the Nakasendo-known as the Mino Nakasendo-is home to 16 post stations and passes through many forests, hills, and valleys, allowing us to witness the seasonal beauty of Gifu’s majestic nature.
Kisoji Magome-juku, which is not considered to be part of the Mino Nakasendo but is still located in Gifu, is a bustling sightseeing destination where the traditional post-station
atmosphere is well preserved.

Hosokute-juku

Hosokute-juku is the 48th post station from Edo (current-day Tokyo). It was first established as a temporary post station because of the great distance from Okute-juku (in the east) to Mitake-juku (in the west), which proved difficult for people and horses to traverse. Property boundaries are divided by stonework, and even now the scenery here resembles that of the new post station at the time of its establishment.

細久手

1.細久手の地名が出できたのは、記録としては、天正11年(1583)五月苗木城を攻略した兼山城主森長可が、その5月25日の帰途細久手に宿陣したとある「金山記」の記載が始めてである。
2.文禄4年(1595)に國枝与左衛門が、自領地に氏神として日吉愛宕神社を勧請している。
3.中山道の宿として慶長11年(1606)大久保石見ノ守長安の命を受けて7軒の仮宿を開いたが、放火により全焼する。
4.慶長15年(1610)中山道の宿場として正式に成立する。御嵩宿と大湫宿との間にあった中山道の宿場町で、江戸から48番目の宿にあたり、江戸へ94里(372Km)、京へ42里(168Km)あり、大湫宿から1里半、御嵩宿まで3里。大湫宿から御嵩宿までの間は山坂多くしかも長丁場であることから、大久保長安への両宿の嘆願で設けられた新宿という。
 細久手は山村甚兵衛支配地にて無高である。
 地子免許(除)覚 安永九年八月 細久手宿地子免除無之
天保14年卯年改(1843)中山道宿村大概帳には
 尾州領土岐郡細久手宿 江戸に九拾弐里参拾町八間
            大湫宿に壱里半 御嵩宿に三里
一、宿高無之
 日吉郷十二ヶ村入会から平岩村境迄 宿往還長十町参拾六間之内
一、宿内町並東西に三町四拾五間
一、宿内人別弐百五拾六人 (内男百三十四人、女百二十二人)
一、宿内総家数六拾五軒
   本陣 凡建坪百二十三坪余 中町壱軒 門構、玄関附
   脇本陣 凡建坪六拾弐坪余 中町壱軒 門構、玄関附
   旅籠屋弐拾四軒(内大六、中、小十ー)
一、地子免許無之
一、問屋給無之、尤米六石尾州より問屋武人に手当有之
一、人馬継ぎ問屋弐ヶ所
一、宿建人馬五拾人、五拾疋
一、継飛脚給米無之
ー、宿高札場一ヶ所、宿東入口に建有之

細久手宿 絵図

(現地看板より)

大黒屋 
庚申堂 
細久手 提灯祭jpg (4)