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日吉神社 岐阜県 瑞浪市 宮前町

 祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)(またの御名山末之大神)。大年神の御子素盞鳴命の御孫である大神は山林、河川、田畑、酒造等農産事業に功績多く、生民安息の道に広大なる御神徳をもたらされる御神です。

 慶長2年11月(1597・後陽成天皇の御宇)寺河戸(旧称稲口庄)の郷土、井土右衛門の志願によりて日吉大杜より御分霊を奉戴し祭祀が始まりました。

 明徳稲荷神社は、明治の初め日吉神社の境内にあり、末社となっていたが、大正13年1月に駅前発展を願って、現在地へ遷宮されました。

 この神社の御神輿は、大、中、女の3台があり、祭り前日に明徳稲荷神社へ渡御し、一泊します。そして、各地区を渡御の後、日吉神社へ引き込まれます。

 戦前は村社、戦後は銀幣社の社格を与えられていましたが、平成九年が御鎮座四百年に当たるため、それを期して氏子の皆さんの篤い敬神の念が結集され、金幣社への昇格が実現しました。

 この神社には小木曽氏奉納の文化八年の神猿(まさる)一対が奉納されており「陶製神猿1対文化8年(1811)に寄進」とあります。日吉神社では、猿を神の使いと考えています。現在は、陶磁資料館に保管されています。

 境内には多くの石造物がありますが、特に昭和15年紀元2600年記念として奉納された石玉垣と本格的な狛犬、大きな石燈籠等は市内屈指の立派なものです。

三野大權現の意味

 日吉神社の本社は大津市の日吉大社で、神仏習合時代には一般に山王社と呼ばれ、祭神も山王大権現と尊称されていました。ところが、慶長二年の棟札には、山王ではなく、三野(さんの)大権現と書かれています。
 古代には、美濃は三野(みの)と書かれていました。また、この鎮座地は現在の寺河戸、宮前、樽上方面の三つの野(平地)を見渡す要の地です。
 郷士(ごうし)井土右衛門は、大神が美濃国のこの地に鎮座し、三つの野に生きる人々をお守り下さいますようにとの願いをこめて、敢えて三野の文字を用いたと言われています。





宮前 日吉神社

瑞浪市宮前町1-45
【祭神】大山咋神
【例祭日】10月第三日曜日
【由緒】祭神は大山咋神(またの御名山末之大神)。大年神の御子素盞鳴命の御孫である大神は山林、河川、田畑、酒造等農産事業に功績多く、生民安息の道に広大なる御神徳をもたらされる御神である。慶長2年11月(1597・後陽成天皇の御宇)寺河戸(旧称稲口庄)の郷土、井戸右衛門の志願によりて日吉大杜より御分霊を奉戴し祭祀が始まった。
(岐阜県神社名鑑より)


祭神 大山咋神(おおやまくいのかみ)

日吉神社

瑞浪市宮前1丁目45番地

御鎮座四百年に金幣社へ昇格
 当日吉神社は寺河戸地区の産土様で、瑞浪市の中心街を氏子区域とし、氏子数も経済的基盤も市内随一の神社です。
 土岐川の南岸に広がる河岸段丘の端、寺河戸の町を一望できる佳い処にその杜があり、戦前は村社、戦後は銀幣社の社格を与えられていました。
 由緒も確かで、慶長2年(1597)建立の棟札を有し、平成九年が御鎮座四百年に当たるため、それを期して氏子の皆さんの篤い敬神の念が結集され、金幣社への昇格が実現しました。
 同年10月19日には、岐阜県神社庁長を献幣使として迎え、御鎮座四百年と金幣社昇格の喜びの中で、盛大な例大祭が斎行されました。

三野大權現の意味を探る
 日吉神社の本社は大津市の日吉大社で、神仏習合時代には一般に山王社と呼ばれ、祭神も山王大権現と尊称されていました。ところが、先に触れた慶長二年の棟札には、山王ではなく、三野(さんの)大権現と書かれています。これには、単に字を誤ったとか、適当に当て字を用いたというのでなく、深い意味がこめられているように思われます。
 古代には、美濃は三野(みの)と書かれていました。また、この鎮座地は現在の寺河戸、宮前樽上方面の三つの野(平地)を見渡す要の地です。
 郷士(ごうし)井土右衛門は、大神が美濃国のこの地に鎮座し給い、三つの野に生きる人々をお守り下さいますようにとの願いをこめて、敢えて三野の文字を用いたのではないでしょうか。

整えられた神域
 境内には多くの石造物がありますが、特に昭和15年紀元2600年記念として奉納された石玉垣と本格的な狛犬、大きな石燈籠等は市内屈指の立派なもので、平成二年改築の社務所には冷暖房の設備もあります。
 今後は、金幣社として更に森厳な神域づくりと祭祀の厳修に力を注ぐ覚悟です。
(瑞浪市の神社[H10発行]より)


日吉神社

 瑞浪中心街に存し、氏子数多し!

所在地:瑞浪市宮前町1丁目45番地
祭神:大山咋神(おおやまくいのかみ)
由来:慶長2年(1597) 11月建立
 寺河戸地区の産土神社で、瑞浪市の中心街を区域とし、氏子数が多い。
 平成9年、銀幣社から金幣社に昇格した。

文化財

神猿(まさる)
瑞浪市指定文化財
「陶製神猿1対文化8年(1811)に寄進」
現在は、陶磁資料館に保管されている。日吉神社では、猿を神の使いと考える。

伝統行事例祭

 10月15日に近い日曜日に行われる。

御神輿

 大、中、女の3台があり、祭り前日に明徳稲荷神社へ渡御し、一泊する。そして、各地区を渡御の後、日吉神社へ引き込まれる。

 明徳稲荷神社は、明治の初め、日吉神社の境内にあり、末社となっていたが、大正13年1月に駅前発展を願って、現在地へ遷宮された。

参考文献 酒波神社誌:柘植厚ー著 荷機稲荷神社パンフレット 瑞浪市の文化財:瑞浪市教育委員会編

金幣社

 金幣社と称せられる神社がある。これは、岐阜県神社庁のみの制度であり、例祭に神社庁長が金色の御幣と幣吊料(お供え料)を捧げてお参りする神社で、瑞浪市内では、荷機稲荷神社、日吉神社(宮前町)、酒波神社の3社が金幣社となっている。他に銀幣社、白幣社、無格社がある。

 日吉神社 宮前 平成9年指定
 酒波神社 日吉 昭和60年指定
 荷機稲荷神社 稲津 昭和39年指定

狛犬奉献:昭和15年11月
特徴:前脚と胸・角(吽像)

(瑞浪の神社を巡るより)


 日吉町半原の日吉・北野神社には木彫りの狛犬があり、稲津町小里の荷機稲荷の陶製の神狐(文化元年半兵衛作)と、宮前町日吉神社の神猿(文化八年作)は、表情もおもしろく作られており、いずれも江戸時代の工芸作品として、大切に保存したいものばかりです。


宮前 日吉神社 祭神 大山咋命 旧村社 最古棟札 慶長二年(一五九七)十一月建立 宮前町

 慶長二年井土右衛門および寺河戸村中にて創建の棟札あり、慶長に三野、正保より山王とあり、明治までは日吉山王権現社として祭祀されている。元禄四年・正徳二年・享保十二年以降の棟札多く現存し、祢宜・神主のあることを知る。文化八年小木曽氏による陶製神猿一対(文化八年)を存す。


 鎮守の祭りに狂言を催す様になった起源は分明しないが、「宝林権興由来記」(宝林寺蔵)は次の様に伝えている。(原文漢文)
 四世中興大和尚(密雲禅師)此の山に住する初め、しばしば山王権現の奇瑞を感得する事あり。故に勧請(分霊を移す事)して当山に鎮守となして崇敬す(略)神徳新なり。故に里人信敬して常に参詣す。(略)当山祭記繁栄すること此れより発足せりと、毎年八月祭日において恭しく御供神酒を供えて法楽し奉る。時に村内壮年の衆、当寺に集りて酒興の余り各々思い思いに座敷の遊興を催して皆夫々芸能、歌舞なして祭日を賑わせり。毎歳神祭の日は打ち寄り祭酒の杯組合せ酒興募りて歌舞伎をなす。綿々として今に至る。けだし神祭出動の役者、幼年及び三十三により、当寺の席において各々議定すと云々。
 これにより祭礼狂言が初められた時代を、推定すると享保(1735)以降の様である。祭礼狂言興行については何処でも若い衆が担当したものである。右の由来記によれば寺河戸村では、33歳以下の者が役者を勤める事に申し合わされていたと云うのである。

(土岐川上郷 江戸時代農民生活史より)

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