炭焼立場跡(すみたきたてばあと)
立場というのは、馬のつなぎ場を備えた休憩所のことです。小さな広場と湧水池(ゆうすいいけ)があり、旅人や馬の喉を潤しました。
太田南畝(おおたなんば 蜀山人[しょくさんじん])が享和2年(1802)に著した『壬戌紀行(じんじゅつきこう)』に「俗に炭焼の五郎坂といふを下れば炭焼の立場あり左に近くみゆる山は権現の山なり。」という記述があります。ここは眺望に恵まれていたので、十三峠の中では特に旅人に親しまれた立場でした。
(現地看板より)
大久後・炭焼き両立場跡
大久後立場跡にはいまも人家が二軒あり、刈安権現山(六〇六m)の直下である。立場の西端、大久後観音堂・蚕養弘法様を経て権現坂の急坂を上ると鞍骨坂(くらぼねざか)で、刈安権現山(萩之島城跡)への上り口でもあり、その右(北)手奥に道中安全を祈って祀られた明和五年(一七六八)の道祖神祠もある。
鞍骨坂の直ぐ西の人家が炭焼(細山)立場跡で、井戸・池などが往時の侭に残っている。炭焼立場のことは壬戌(じんじゅつ)紀行にも詳しく紹介されており、風情の残るコースである。
(釜戸町地内の中山道は約2.2kmである。)
(中山道ガイドブックより)