心宗寺は、天竜寺や西芳寺の庭を創った夢窓国師が開山したといわれます。夢窓国師は南北朝時代に活躍した臨済宗の高僧で全国各地で築庭し、多治見の永保寺の庭もそのひとつです。今も心字池や座禅岩が往時の姿をとどめています。座禅岩に座って心字池を眺め、瞑想にふけるのも一興です。
心宗寺(しんしゅうじ)と止静庵(しじゅあん)(心字池・座禅石)
夢想国師(夢想疎石)(1275~1351)は南北朝時代(1336~1392)後醍醐天皇・足利尊氏らに仏の講義をし、更に東奔西走各地にお寺を開き臨済宗を盛んにした高僧で、この地方では多治見の虎渓山永保寺を開山、正和三年(1314年)旧知の土岐氏を頼って美濃国に入り、この林の中に鶏足山 心宗陀頭禅寺(けいそくざん しんしゅうだとうぜんじ)(後の止静庵)を開山したと言われています。
寺号の心宗が光厳天皇(こうごんてんのう)から賜った国師号であることと、寺域内に夢窓国師設計の庭園には必ず備わっているとされる座禅岩や心字池、涸(か)れ滝があります。
形が「心」という字になっている「心字池」を少し登ると、二つ重なった中ほどがくぼんでいる大きな石が国師が座禅した「座禅岩」といわれいます。そして東南約百メートルの所に「心宗寺跡」の碑と滝の石組みとみられる庭石があり、この辺りが昔は庭園であったことを物語っています。
心宗寺の後身とされているのが三松軒(さんしょうけん) 止静庵で、このお寺は江戸時代末の文久二年(1862)に焼失し、普済寺に併合されました。