釜戸町論栃 金鶏八幡神社
瑞浪市釜戸町2461(論栃)
【祭神】誉田別命・神功皇后比咩神
【例祭日】10月第2日曜日
【由緒】釜戸町大島の土岐川と佐々良木川合流点から6キロメートルほど遡ったあたりに、戸数18戸ほどの論栃という集落があり、その産土様金鶏八幡神社は、近くの山の麓に鎮座している。この神社には、今では珍しくなった舞台がある。昔の秋祭には村芝居が上演され、集落の人々は、それをとても楽しみにしていた。棟札では、延宝5年(1677)12月創立となっているが、もっと古くから祭礼の場所であったことが窺われる。
(岐阜県神社名鑑より)
頼政伝説「平家物語」
源頼政(1104-1180)は、平安後期の武将で源三位(げんさんみ)頼政、源三位入道とも称され、源氏のなかでも特に文武に秀でた有名人です。
仁平3年(1153)、京の都では御所の空に黒い雲がたちこめて、帝(みかど)が高い熱にうなされていました。雲の中に魔物がいて帝を苦しめているというのです。頼政が神仏の御告げを受けて、33の斑の尾を持つキジを探し、その尾羽根を使った矢で魔物を射れば、退治できるという事でした。
日吉町の大岩「頼政岩」に登って、キジを探していたといわれています。近くの「酒波神社」には末社に「頼政神社」があり頼政とかかわりがあるとも言われています。
頼政は論栃の東山(「屏風山」)でこの山鳥をみつけ、8本の矢でまずこの山鳥を射とめました。8本の矢を射ったということで、その地が「八本ヶ射」と呼ばれるようになりました。
そのキジの亡骸を埋めた所に地元の人が社を祀りました。「錦鶏八幡神社」がその場所だということです。
キジを追い出した犬は、キジの毒に当たって死に、釜戸町芝原(町家)に埋められました。今は「天猷寺」に移され犬塚として残っています。
頼政はその矢を持って都へ帰り、御所の屋根に上って黒い雲に向かい、力強く弓を引きました。矢は見事に雲の中の魔物に当たり、御所の前庭に転げ落ちてきたのです。見ると、その魔物は頭が猿、体は狸、足は虎、尾は蛇という怪物で、ヌエ(鵺)という名がつけられました。
駆けつけた郎党の猪早太(いのはやた)が太刀で仕留め、その後頼政は仕留めたヌエの体をバラバラに切り刻み、それぞれ笹の小船に乗せて海に流しました。
魔物が退治されると、帝の病はたちまちよくなりました。
現存する平安期の日本刀に「獅子王(ししおう)」の号が付けられた太刀があり、このヌエ退治の功により、朝廷より頼政に下賜されたものであるとの伝承があります。
祭神 應神天皇(おうじんてんのう) 神功皇后(じんぐうこうごう) 比咩神
八幡神社(金鶏八幡神社)
瑞浪市釜戸町2461番地(論栃)
頼政伝説を伝えるお社
釜戸町大島の土岐川と佐々良木川合流点から6キロメートルほど遡ったあたりに、戸数18戸ほどの論栃(ろんどち)という集落があり、その産土様金鶏(きんけい)八幡神社は、近くの山の麓に鎮座しておられます。
この神社には、今では珍しくなった舞台があります。昔の秋祭には村芝居が上演され集落の人々は、それをとても楽しみにしていました。
今から800年ほど前、源三位頼政という武士がこの地を治めていました。その頃、京の都では御所の空に黒い雲がたちこめて、帝(みかど)が高い熱にうなされていました。雲の中に魔物がいて帝を苦しめているというのです。頼政が占ってもらったところ、33の斑の尾を持つ山鳥を探し、その尾羽根を使った矢で魔物を射れば、退治できるという事でした。
頼政は論栃の東山でこの山鳥をみつけ、8本の矢でまずこの山鳥を射とめました。8本の矢を射たということで、その地が八本ヶ射と呼ばれるようになりました。その山鳥の亡骸を埋めた所に地元の人が社を祀りました。この八幡神社がその場所だということです。
山鳥を追い出した犬は、鳥の毒に当たって死に、釜戸町芝原に埋められました。今も犬塚として残っています。
頼政はその矢を持って都へ帰り、御所の屋根に上って黒い雲に向かい、力強く弓を引きました。矢は見事に雲の中の魔物に当たり、御所の前庭に転げ落ちてきたのです。見ると、その魔物は頭が猿、体は狸、足は虎、尾は蛇という怪物で、ヌエという名がつけられました。
魔物が退治されると、帝の病はたちまちよくなりました。
魔物を射殺すほどの力を持つ山鳥を祀ったことから、この社が金鶏八幡と呼ばれるようになったということです。
棟札では、延宝5年12月(1677)創立となっていますが、もっと古くから祭礼の場所であったことがうかがわれます。
(瑞浪市の神社[H10発行]より)
錦鶏八幡神社
源三位頼政の錦鶏伝説にまつわる神社。近在には、「鷹外れ」「犬塚」など伝説にまつわる地名も残っています。
(釜戸再発見mapより)
灯籠
釜戸町論栃錦鶏八幡社(享保四・1719・対・円・論栃村中島氏)
(ふるさとの石碑と灯篭より)