■ 三十三霊場

【美濃瑞浪三十三霊場 第01番】天徳山 正源寺 岐阜県 瑞浪市 土岐町

御本尊:釈迦牟尼仏(不動明王、弘法大師、天神)
宗 派:臨済宗妙心寺派

御詠歌
 天徳の みねにこだます のりの声
   心にひびく 三省のてら

 前身は、仁平(にんぴょう)三年(1153)寺屋敷(旧瑞陵中学校辺り)に源三位頼政公が築いたと伝えられる天徳寺 不動堂と言われておりますが、火災のため廃墟となってしまいました。
 承応二年(1653)(または明暦二年(1656))天徳山の名を山号とし、寺号を土岐源氏に因み正源寺にして、大仙寺(現加茂郡八百津町)の堅室 祖益(そえき)首座が開基となり天徳山 正源寺と称して再建されたといわれます。現在の本堂は平成十八年に落慶されました。
 本堂に大聖釈迦牟尼(だいしょうしゃかむに)仏を安置し、堂内には不動明王と弘法大師、天神が祀られています。    

 矜羯羅(こんがら)・制叱迦(せいたか)の二童子を脇に従え、恐ろしい形相の不動明王ですが、失せ物の願立をすると7日以内に必ず出てくるという、昔からの言い伝えがあります。
 天保三年(1832) 一日市場村の正源寺の土蔵が大修理をすることになった時、若者連(若者組)の弥助が発起して「富クジ」を興業し金を作った事がありました。
 ここには市内で一番古い元禄二年(1689)の阿弥陀如来・聖観音それに同年の如意輪観音をはじめ千手観音らの石仏群があります。


守屋貞治地蔵

(文政4・1821・丸・坐・右錫杖・半跏趺(かふ)・延命地蔵)(守屋石匠作)

 信州は桜の名所高遠の名工 守屋貞治が彫ったとされる貞治地蔵がお祀りしてあります。この方は、ー生の間に360体を作ると決めていて、すべて彫り上げると自分の命の終わるのをさとって、親戚を集めて別れの挨拶をし、念仏を唱えながら死んでいったと伝えられています。
 瑞浪市内では、天猷寺、正源寺、禅鉢寺の三ケ寺に残されております。
 文政5年(1822)、信州諏訪温泉寺住職願王和尚が、授式のため来寺し、その折願王和尚の肝いりで、高遠の名工守屋貞治が地蔵を彫刻したと伝えられております。
 一日市場正源寺の天明四年(1784)の千手観音および同六年の同寺の如意輪観音は彼の青年期の、そして文政四年(1812)の正源寺の両延命地蔵は壮年期(57才)の作と見られ、台石には「摩詞薩矣 放光任縁 金環瀝々 雨宝無辺」と彼を支援した諏訪の願王和尚の筆による「放光」 の文字が刻まれています。


六地蔵石憧 題目碑

(延宝四・1676・笠・憧・中台とも六角 竿のみ有節の丸竿)
 延宝4年(1676)に一日市場講中で建立した、高さ2m11㎝の花崗岩製で、龕(がん)部に六地蔵を彫刻した、「石幢」(せきどう)があります。
 正源寺のものも、信光寺のものと同形式ですが、やや細長く造られていて六地蔵は立像に彫られています。これも古い延宝のもので、竿部に「奉刻建南無六地蔵菩薩 干時延宝四丙辰天弥生吉日 一日市場村」とあり、造立も古く信光寺のものと共に貴重な六地蔵石幢といえます。


地蔵菩薩

(元禄2・1689・光・立・左宝珠・右錫杖・墓碑地蔵)


阿弥陀如来石像

(元禄二・1689・光・立・来迎印・念仏諸善人造立)
 光背型に彫られた美しい姿の立像で、右手を上に折り、左手を下に下げ、共に掌を外に向けて人差指と親指とで輪を作る来迎印が正しく刻まれており、光背部の左右に「念悌諸善人造立之 干時元禄二己巳歳卯月」とあるものです。


聖観音立像

(元禄二・1689・光・立・左手蓮華・右手与願印)
 高さ95cm、三百年近い風雪にも少しも損傷されておらず、実に美しい尊像で、日吉町小高の秋葉観音と同様市内初期の造立で、左手に蓮華、右手与願印(よがんいん)の正しい像形に彫られており、左腕に掛けられている天衣も共によく刻まれています。

(享保11・1726・光・立・左蓮華・右与願印・他に三体)


千手観音

(正徳(1711)~享保(1716)ころ・千手・十普・立・光・大型・独尊)

(宝暦(1751)~明和(1764)ころ・千手・十八臂・立・光・独尊)

(宝暦(1751)~明和(1764)ころ・千手十一面・八臂・坐・五番)

(宝暦八・1758・千手千顔・十臂・立・四番)

(天明四・1784・千手・六臂・立・水瓶・十二番)

(天保三・1832・千手十一面・十六臂・立・二十六番)


如意輪観音

(享保10・1725・光・坐・四臂・他に三体あり)
 正源寺の享保十年のものは思惟(しゆい)形の四臂像で、蓮華・宝珠・宝輪を持ち「享保十乙巳歳」とあります。


十一面観音石像

(寛政元・1789・十一面観音・二手・左手蓮華)


万霊塔

(寛政12・1800・自然碑・界万霊塔・念仏連中)


名号碑

(嘉永5・1852・自然石碑・嘉永五壬子年三月八日)


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