八王子神社
瑞浪市陶町大川716
【祭神】天忍穂耳命・天穂日命・天津彦根命・活津彦根命・熊野樟日命・田心姫命・湍津姫命・市杵島姫命
【例祭日】 十月第一日曜日
【由緒】創祀未詳。元禄14年再建の棟札がある。昭和6年3月1日陶町大川字十三塚鎮座無格社天神社を合併する。ここ大川は、美濃焼創業の地で、八王子神社には大川窯四代目羽柴与左衛門景度作(1701)の狛犬をはじめ、享和、天保等の美濃焼狛犬が奉納されており、大川の狛犬群として市の文化財に指定されている。当神社には、寛永2年(1625)創建の棟札が残っているが、羽柴与左衛門の狛犬は、大川焼の歴史から考えると元亀・天正の頃(1570年代)の作と推定され、少なくとも寛永2年より50年前には何らかのお社があったか、浅間神社から狛犬を移したものと考えられる。参道入り口の鳥居は明治30年の建立、傍らに目通り周囲四メートルの神杉がそびえ、石段を登りつめた広場には立派な舞台がある。昔はここで芝居や踊りが演じられたものであるが、今は使われていない。10月の例祭日には、浅間神
社のマイド(遥拝所前広場)から、ここまで、行列を作って詣でる。
(岐阜県神社名鑑より)
八王子神社
祭神 天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)はじめ八柱の神(八王子)
瑞浪市陶町大川716番地
文化財の狛犬と世界一の狛犬
ここ大川は、美濃焼創業の地で、八王子神社には大川窯四代目羽柴与左衛門景度(かげのり)作の狛犬をはじめ、享和、天保等の美濃焼狛犬が奉納されており、大川の狛犬群として市の文化財に指定されています。
平成元年、大川から愛知高浜市までの道路が国道に昇格したのを記念し、ふるさと創生事業の一つとして、文化財の狛犬に因み、世界一の美濃焼狛犬製作が発議されました。
全区民の協力と市関係者の力添えによって平成2年見事に完成し、今や瑞浪市の名所となっています。
さらに、文字通り狛犬群を奉納しようと、平成8年以来毎年
一月一日に野焼きで狛犬を焼成し、脇参道に並べています。
祭神と神社の歴史
祭神八王子というのは、須佐之男命(すさのおのみこと)が姉神天照大御神に対する邪心のないことを証明しようとされた時、天照大御神のお生みになった三柱の神と、須佐之男命がお生みになった五柱の神のことです。
当神社には、寛永2年(1625)創建の棟札が残っていますが、先に記した羽柴与左衛門の狛犬は、大川焼の歴史から考えると元亀・天正の頃(1570年代)の作と推定されますから、少なくとも寛永2年より50年前には何らかのお社があったか、浅間神社から狛犬を移したものと考えられます。
参道入り口の鳥居は明治30年の建立、市内では五指に入る大きなものです。傍らに目通り周囲四メートルの神杉がそびえ、石段を登りつめた広場には立派な舞台があります。昔はここで芝居や踊りが演じられたものですが、今は使われていません。
例祭には浅間社から行装(ぎょうしょう)行列
十月の例祭日には、浅間神社のマイド(遙拝所前広場)から、ここまで、小中学生の鼓笛隊とブラスバンドを中心に、神職・氏子総代、区の役員が行列を作ってまいります。
昔は、花馬がマイドを駈け、仮装行列もありましたが今は行われておらず、八王子神社で大川太鼓や子供相撲の奉納、餅投げ等で祭を盛り上げています。
(瑞浪市の神社 H10より)
八王子神社
アマテラスとスサノオの二柱の神の持物である勾玉と剣から生まれた天忍穂耳命(あめのおしまみみのみこと)を始めとする五柱の男神、多紀理毘賣命(たきりびめのみこと)を始めとする三柱の女神、あわせて八柱の神々を祀った神社で、この神社は寛永2年(1625)創建された歴史のある神社です。
また、この神社には大川東窯四代目羽柴与左衛門景度作の一対のほか、享和2年(1802)、天保14年(1843)等の美濃焼狛犬五対が保存されている。陶製狛犬は美濃・瀬戸両焼きに見られる民俗資料で陶器の町の貴重な資料です。
(陶町の歴史散策マップより)
八王子神社は、元禄十四年(1701年)再建の棟札が残っています。天領の時代で笠松の代官による統治の時代です。
この年は忠臣蔵の序章 江戸城松之廊下で刃傷事件が起こりました。
(もっと知ろう“陶”より)
秋葉辻灯篭
「秋葉山」「牛頭大王」「太神宮」「金比羅山」
(火伏)(厄除け)(加護)(繁栄)を祈る
「信州石工 久保田宇吉 藤原為安全」
文化三年(1806)
同じ久保田氏作の兄弟灯篭が、瑞浪市内に三基ある。
一色稲荷神社 文化九年
益見白山神社 文化ー四年
信州高遠藩は検地により領地を減らされ財政難となり、そのため農家の次男三男などは他国へ出稼ぎに出た。
高遠は石材の産地であったことから、藩の奨励を受けて石の加工技術を身に着け、他国で高遠石工として活躍し、名をはせた。
(中馬街道大川地区散策資料より)