明治13年(1880)6月29日、明治天皇御巡幸のおり、ご休憩所となった旧土岐村庄屋安藤茂左衛宅にあります。庭に立つ記念碑は、昭和10年11月に文部大臣より史跡に指定され、昭和12年に建立されました。
(土岐地区 郷土再発見より)
明治天皇御小休所跡
明治13年(1880)6月の明治天皇巡幸時に、土岐村の庄屋安藤家が休患所となった当時、天皇陛下が自分たちの村を通られるなどと言うことは、一代の栄誉であり、近郷・近在挙げてのー大イベントであった。この巡幸に合わせて、急遼下街道の改修工事が行われ、当日は千人余りの大行列が名古屋万面に向かって行った。なお、前泊は大井村、当日は多治見村に泊まられた。
(瑞浪市下街道マップより)
天皇の巡幸
新政府は一応新政策も軌道に乗り、国内の治安も治まってくると各地方への天皇巡幸のことを決め、中山道筋では三重県までの巡幸が明治十三年に行なわれることになった。
溝を掘り曲部を直し、千本揚きで固める作業で、大井~大湫・細久手~土田~名古屋間について行なわれた。釜戸大久後地内の新道坂百間の新工事や、大派~細久手間では琵琶峠の急坂経由を廃止して刈馬草~大平~松枝~北野辻経由の新道工事の行なわれたのもこの時である。
その途中の二十六日、大井~名古屋間については下街道使用に変更らしい旨が伝えられて中村中土岐郡長が検分に訪れ、五月一日には県官も出張して下街道筋巡幸決定と発表され、三日からの道作りは急拠下街道に変更して行なわれた。
以降下街道の改修工事は続行され、東では今宿追分立場経由の道に代わって槙ケ根新道が開かれ、釜戸地内では東大島・公文垣内、土岐地内では鶴城・清水などで一部路線変更も行なわれ、土岐川にかかる中切大橋も新しく掛替えられて、巾二間平均の下街道が完成した。
明治天皇は六月十六日東京出発、同月二十九日釜戸・土岐小休止で、当市内へ入られ、七月二十三日東京帰着の予定で三重県へ向かっていかれた。