■ 神社 神様

愛宕神社 瑞浪市陶町猿爪

陶町猿爪 愛宕神社(あたごじんじゃ)

瑞浪市陶町猿爪1081
【祭神】輌遇槌神
【例祭日】11月第1日曜日
【由緒】延宝二年(1674)9月4日建立。火結の神として衆庶の信仰が篤い。参道入り口の鳥居の横に、昭和6年建立の社号標があり、その側面には次のように由緒が刻まれている。
 寛永ノ頃伊藤善右衛門ナルモノアリ深ク京都愛宕神社ヲ崇敬シ登山貫ニ二十数回二及ビ勧請シテ祠ヲ建ツ是本社ノ始ナリ爾来当所伊藤氏ノ一族其志ヲ継ギ毎年陰暦9月24日例祭ヲ執行シ修理保存シテ今日二至ル
 烏居は昭和45年に建てられたものであり、その柱に伊藤一派崇敬者と記され、正に伊藤一門の守護神ではあるが、それに止まらず、窯業の地猿爪の繁栄と中馬街道を往還する人々の道中安全の願いもこめて祀られたものと思われる。この神社の祭で珍しいのは、甘酒のお供えと参詣者への振舞いである。
(岐阜県神社名鑑より)

祭神 軻遇槌神(かぐつちのかみ)
愛宕神社(あたごじんじゃ)
瑞浪市陶町猿爪1081番地

猿爪伊藤一門の守護神
 祭神軻遇槌神は防火の神、それを祀るこの愛宕神社は、猿爪地内字沢ノ尻、旧中馬街道沿いの小高い山の上にあります。
 参道入り口の鳥居の横に、昭和六年建立の社号標があり、その側面には次のように由緒が刻まれています。
 寛永ノ頃伊藤善右衛門ナルモノアリ深ク京都愛宕神社ヲ崇敬シ登山實ニ二十数回ニ及ビ勧請シテ祠ヲ建ツ是本社ノ始ナリ爾来当所伊藤氏ノ一族其志ヲ継ギ毎年陰暦九月二十四日例祭ヲ執行シ修理保存シテ今日ニ至ル
 鳥居は昭和45年に建てられたものですが、その柱に伊藤一派崇敬者と記され、拝殿改築寄附者芳名板にも伊藤性の方々三十余名の名が連ねてあります。
 正に伊藤一門の守護神ではありますが、それに止まらず、窯業の地猿爪の繁栄と中馬街道を往還する人々の道中安全の願いもこめて祀られたものと思われます。
 現在では、11月初旬の日曜日、二軒の祭元を中心にして、伊藤一門総出でお祭りが行われています。
 この神社の祭で珍しいのは、甘酒のお供えと参詣者への振舞いです。
 拝殿前の広場に大釜を据えて甘酒を満たし、まず神社にお供えします。祭典がすむと太鼓が鳴らされ、それを合図に大勢の人が参拝に上ってきて、甘酒の振舞いを受けるのです。
 昭和50年代の初めごろまでは、たくさんの子供達も参加してずいぶん賑わったものですが、今では子供の数が少なくなり淋しい状態になってしまいました。加えて、陶の窯業に昔日の活気はなく、祭も静かになってきましたが、この伝統は今後もしっかり守られていくことでしょう。

愛宕信仰と本社参詣
 全国にある愛宕神社の本社は、京都の西北にそびえている愛宕山上にあり、古くから王城の鎮護として、また防火の神として崇められ、火伏せの霊験によって庶民の信仰が盛んでしたから、前記の伊藤善右衛門も熱心な崇敬者の一人になったことと思われます。
 平成8年には、伊藤一門40数名がバス一台で京都嵯峨鳥居本の里宮に参拝、平成10年3月には有志が愛宕山上の本社に参拝するなど、崇敬の誠が継承されています。
(瑞浪市の神社[H10発行]より)


愛宕神社

 愛宕神社は、雷や火災から人々を守ってくれる「火防(ひぶせ)」の神を祀った神社である。
 神話によれば、火の神迦遇槌命(かぐつちのみこと)は伊奘冉尊(いざなみのみこと)の子神であり、伊奘冉尊は迦遇槌命を生む時に陰部を焼かれ、それがもとで亡くなったそうです。
(陶町の歴史散策マップより)

愛宕さんで一服

 愛宕さんは安政(1860年頃)の頃にはあったということだから、明治前後の旅人は水上方向を眺めながら一服したことでしょう。もっとも、現在の立派な社は伊藤家の氏神として山五さん他の寄進によるものだから、今の社よりもう少しさみしい社だったとは思いますが…。

(陶町歴史ロマンより)


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