○ 瑞浪地区

込土山 道標 村灯籠 瑞浪市上平町込土山

 込土山(岐阜県瑞浪市上平町)の三河街道の道標です。

 「右 おかざき 左 やま道」と書かれているそうです。

三河街道

 中山道の大湫宿と東海道池鯉鮒宿を結ぶ街道で、琵琶峠の東登口から南へ分岐→足股→半原町屋→名滝橋(ここで下街道と交叉して土岐川南側を西行)→桜堂→市原白山神社下→小里川渡り→益見→込土山→下山田→(旧八幡神社木鳥居前から)明賀洞→駄知→細野→柿野→藤岡→猿投→挙母→池鯉鮒という、道程(一六)は、いずれの史書もほぼ同じですが、山田の中の経路については、史書によって様々です。
 三河街道の通過地点の証拠として、どの史書も挙げているのが、現在も東平芝添にある弘法大師像の台座に刻まれた文政元年(一八一八)の道標「右ハたかやま みたけ 左ハかきの かさわら道」です。
 しかし、現在道標が小字芝添にあるのは確かですが、史書によっては場所が違っています。芝添とするもの、兎洞(現在瑞浪中学校のある小字、旧土岐町)とするもの、三ツ橋(現在バロー瑞浪店のある東付近)とするものがあります。
 いずれも、その根拠を示していませんので、いずれが正しいか判断できませんが、現在道標は南向きになっており、道標の文面通りですと、右は瑞浪中学校・入ヶ洞方面、左は小田方面となり、道標の向きが本来とは違うことは明らかです。
 道路工事か何かの都合で向きが九〇度か一八〇度変えられたと考えられます。道路工事で変わったのは向きだけでなく、位置も現在とは違っていたとも考えられ、三ツ橋や兎洞を否定することもできません。
 しかし、現在もある芝添を本来の場所として、幾つか史書が「辻」としているように、道標は辻に置くのが普通と考えられるので、芝添で後述の秋葉・岩村道と交叉しており、その辻の南西角にあったと推定されます。
 芝添からの経路ははっきりしません。陸老記では、三ツ橋で秋葉道と分かれて南面して西平へと書かれていますが、道標の位置との関係が疑問です。渡辺は、「東平の家並みを南行するとやがて駄知道に出て、下山田八幡入口・旭王寺の前に達します。」といっており、これが妥当と考えられます。 ここからの経路は陸老記ではややはっきりしませんが、旭王寺参道入口から小字札木平の南西縁に沿って進み、突き当たりを右折して井戸神の前から竹ノ下を通り、明賀洞へ通じたものと考えられます。
 三河街道は、三河の藩主の参勤交代にも利用されました。
 例えば、渡辺家覚書に次のような記録があります。
 〝宝暦七年(一七五七)四月一四日、土井伊豫守、明我洞から江戸へ御通行、総人数三三三人、…〟
 二万三千石の殿様でも三三三人もの大行列で江戸へ向かったのでしょうか。
 また、天保九年(一八三八)九月一八日挙母藩主内藤丹波守の行列が、旭王寺で昼の休みを取ったと伝えられています。
 JR瑞浪駅の西の踏切には「三河街道踏切」と標識が出ています。三河街道がここを通るはずはないので、瑞浪駅に問い合わせましたが、標識の根拠は不明でした。

(『旭王寺と下山田の歴史』より)

上平 村灯籠

猿子村  瑞浪市上平町  四角型(神前在)  219cm  1 、区画整理により移転  天照皇大神宮  秋葉大権現  白山宮  金毘羅大権現  念佛□中□□上平  文化十二年乙亥三月日  村中安全

(村燈籠より)


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