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荷機稲荷神社 瑞浪市稲津町小里


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小里 荷機稲荷神社

瑞浪市稲津町小里560
【祭神】宇賀魂命・豊受比売命・猿田毘古命・建速須佐之男命
【境内社】稲津招魂社
【神紋】焔玉
【例祭日】3月第1日曜日
【由緒】延享元年(1774)頃、連年凶作が続いたので村人達が村内安全、五穀豊穣祈頻のためこの聖地に稲荷大明神を奉祀した。次第に世の中は立ち直り、その後天明の大飢饉に際し京都伏見大社から御分霊を勧請する議が起き、村人6人が上洛して熱願懇望した結果、遂に文化元年(1804)2月、御分霊の神璽を戴き、現在の八幡神社(瑞浪市稲津町小里鎮座)の境内に奉斎した。以来明治維新まで初午大祭には伏見大社からの奉幣が続いたが、明治維新の改革により、やむなく中止となり、その後、境内に鎮座の津島神社を合祀する。諸々の変遷を経て、明治20年町内の崇敬者からの寄附で神殿を造営したが、明治24年震災に罹り境内は動割して再建が不可能となり、明治25年現在の処に多大な寄進を得て今の本殿拝殿を再建した。遠近より参拝する崇敬者は、霊験あらたかにして家内安全、五穀豊穣、家業繁栄の御神徳の尊さに因るものである。昭和27年境内の美しき処に日清、日露戦争から、大東亜戦争に至る戦没者、百四十五柱の御霊を奉斎すべく、稲津招魂社を瑞浪市稲津町内の遺族等を始め数多くの人々の奉賛を得て創建した。また昭和39年8月15日岐阜県神社庁より金幣社の称号を賜る。
(岐阜県神社名鑑より)


祭神 宇賀魂命(うがのみたまのみこと) 他三柱の神
荷機稲荷神社
瑞浪市稲津町小里560番地の2

お稲荷さんの参道
 拝殿前に朱塗の鳥居と神狐(狛犬と同じ)が立ち並ぶ参道石畳は、旧稲津小学校の玄関に使用されていたものを、昭和56年に214個を敷き詰めて、立派な参道としたものです。

伏見大社の御分社
 江戸時代中期ごろ、凶作が続いたので村人たちが、五穀豊穣を祈ってこの聖地に稲荷大明神を奉祀したところ、次第に世の中は立ち直りました。そこで京都の伏見稲荷本社から御分神を勧請することとなり、村人6名が上洛し熱願懇望した結果、文化元年(1804)3月御分社の神璽(しんじ)、御神刀、證(あかし)を戴き、この聖地に奉祀致しました。

初午大祭には伏見本社 今は神社庁から奉幣
 鎮座以来、初午大祭には、伏見本社から奉幣が続きましたが、明治維新の改革で中止となりました。今の本殿、拝殿は明治30年東濃各地の崇敬者多数の寄進により造営されたものです。
 昭和39年金幣社に昇格してから、初午大祭には神社庁から献幣使が参向されて、神社本庁の金幣を奉納、厳粛な大祭が行われます。

初午には手に手に「御使者(おししゃ)」
 初午大祭には、広大無辺の御神徳を頂く遠近の崇敬者が、早朝から「御使者」(陶製の狐の像)を携えて大神様に「御合せ」のため拝殿に額(ぬか)ずき、所狭しと御加護を祈られる姿が絶えません。
 また、午後4時西の広場で太鼓を合図の200臼の餅投げは実に壮観です。

月参講祭500回
 昭和27年講和条約発効を記念して、稲荷神社月参講を組織し、講員の更なる家内安全・商売繁盛を祈願するため毎月第一日曜日に百名近い、代参者参列のうえ、月参祭を執行しております。平成9年10月には500回の月参祭になりました。
(瑞浪市の神社[H10発行]より)


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