中仙道の大湫宿の西の「琵琶峠」を源として沢が流れ出し、途中、竜吟湖へ流れ込み、そして竜吟の滝を経て土岐川へ合流している沢を不動沢と呼んでいました。この土岐川への合流点の少し手前に架けられているのが不動橋です。
この橋の真下に、鉢を伏せた形の岩があり、かっての丸木橋の頃は、その岩から柱を建て橋を支えていたそうです。この辺りの地名を 「鉢伏」 と呼ぷのも、この岩の形からとった名前であるといわれています。
この橋は、何度かの架け替えによって現在では、鉄筋の永久橋であるが、明治の初め頃は山から筏り出しただけの丸太二本をつなぎ合わせた丸木橋であり、人が通れるだけで馬も通れないほどのものであったそうです。
この丸木橋が、当時としては立派な幅二間の土橋に架け替えられたのは、明治十三年の明治天皇御巡幸の折のことで、この下街道一帯の道路、橋等の大改修が行われた時のことです。
この大改修は、下街道における画期的な大事業で、歴史的事業として記録も残されています。記録によると「明治天皇御巡幸の道は、当初上街道の予定であったのが急拠下街道に変更されたため、当地は上へ下への大さわぎでした。完成までの様子は「五月一日に変更の通知があり、五月三日に工事着工、六月十四日完成」ということであり、道つくり人足 七九八五名 (一人三十銭)、奉仕人足 八四四四名というように短期間に大勢の人々によって完成されました。
この不動橋の快に竹薮があり、その中にお不動様が祭られています。このお不動様は、はじめは川上の竜吟の滝近くに奉置されていたのであるが、ある大洪水の際に流され、前述の鉢伏の岩のところで止まっていたそうです。これを見つけた村人達は、「お不動様はきっと、竜吟を嫌ってここまで来なさったのだから 」 と言って、この薮の中に祠を建てて祭ったと言われています。
また、このお不動様の近くに地蔵様が一体祭られています。この地蔵様は「おこり地蔵」 と呼ばれ、熱病によく効くと言われています。発病した際、この地蔵様を参詣し、地蔵様の体を荒縄でしばって転がすと地蔵様が苦しがり、その苦しみによって熱を下げていただけると言い伝えられている。当時、マラリア等の熱病は滋賀県以西しか発病しないと思われていたようであるが、遠くからそして多くの人が参詣に訪れていたそうです。


