釜戸 阿弥陀堂
この場所には昔、中世からある西光寺という古寺があったが、元亀2年(1571)武田軍に焼かれ、その後、帝京4年(1687)焼失を免れた本尊を祀る阿弥陀堂が再建されたと伝えられている。なお、このお堂には、願主足立岩次の市内外合わせて八人による狂俳6O句の奉訥句額がある。足立岩次氏は、荻之島出身で天保から明治にかけて荻之島焼の名で岩村藩御庭窯師となり、安政5年(1858)北海道函館に渡って函館焼の陶祖となった人で、帰郷後は、政府の要望で電信用碍子の製造に技を振るった。
(瑞浪市下街道マップより)
下切 阿弥陀堂
元亀2年(1571)に焼失した西光寺を前身とし、貞享4年(1687)焼失を逃れた本尊を祀るために建てられたと伝えられています。ここに奉納された安政句額は市内でも貴重なものです。
(釜戸再発見mapより)