大桑城は南泉寺の北方約二里、椿野の金鶏山上にその跡があります。
築城は親羅三郎 義光の八代の孫 逸美又四郎重代によると伝えられてますが、明応年中に八代守護 成頼の次子定頼が大桑氏を称して以後ここをその城としていたものです。
兄 頼純を追放して十一代守護の座についた頼芸もその実権を道三に奪われ、革手城から長良館に、天文三年にはこの大桑城へと移されてしまいました。
天文十一年秋には道三に大桑城を囲まれて美濃国守護の地位を追われ、十一代に及んだ土岐氏の美濃国守護時代は終わりました。
その後織田氏の力によって兄 頼純と共に頼芸は帰城するが再び天文十六年十一月に道三に攻められて尾張へのがれ、翌年織田、斉藤和睦によってその秋帰城、天文二十一年三度攻撃されて、頼芸の東国落ちとなりました。
今も石垣、井戸跡などが面影を残しています。
★美濃源氏土岐一族