頼益の子 持益は七代守護を継ぎ、父以来の執権 斉藤利永の内助を得て四代将軍 義持から八代将軍 義政まで、めまぐるしく代った五代の各将軍に仕え、美濃守護の任を果しましたが、晩年の康正二年(1456)相続のことから、破れて隠居し八代守護には執権 斉藤利永のおした一色兵部少輔義遠の子 成頼がなりました。持益は隠居生活十数年の後の、文明六年九月七日に亡くなりました。その法名は承国寺殿前左京兆常裕大助(裕公)居士といいます。
承国寺の跡は各務原市の鵜沼で、名鉄鵜沼駅の西北200m程の処にあり、土手の跡が僅かに残り、土中に石造物の部分も埋っていますが、持益の墓は確認できません。


