八代守護成頼を開基として、その執権 斉藤妙椿が応仁元年主君のために建立したもので、開山は悟渓国師です。
岐阜市金華山の南麓にあり「開基土岐成頼公、悟渓国師古道場金宝山瑞龍寺」の名にふさわしい広大な境内と伽藍がありましたが、天文五年、永録七年、慶長五年兵火にかかり、さらに昭和二十年太平洋戦争で焼失しましたが寺運は衰えることなく今も法灯は続いています。
成頼は家督を元頼に譲りたいとして起きた「船田、城田寺の戦」に破れて隠居し、加納城・安国寺・米田館で余生を送って明応六年に亡くなりました。
成頼の墓は境内西側に妙椿(持世院 文明十二年ニ月二十一日卒 没年七十歳)のものと並んで土鰻頭があり、その法名は瑞龍寺殿国文宗安大居士といいます。


