嘉慶ニ年(元中五年 1388)に始まる三国大守、四代守護 康行「征伐」の将となり、戦勝のあと将軍義満から美濃五代守護に任ぜられた西池田の頼忠(頼清の末子で、頼康、頼雄、直氏の弟)の開基で、建武三年(延元元年 1336)覚源禅師の開山です。頼世は足利幕府が樹立して池田を領すると自領に願成寺を建立しました。
康行征伐のあと頼忠は美濃守護となり、明徳三年(元中七年 1392)には南北合朝から美濃守になり、四年八月十一日に天寿を全うして法名を禅蔵寺殿正庵真兼大居士として葬られました。
禅蔵寺は濃尾平野、岐阜地域の一望出来る願成寺の高台にあり、今その墓は「頼忠母子の廟」として整備され、宝篋印塔が一族のものと共に祭られています。









