★美濃源氏土岐一族

源頼政の首塚 金宝山 蓮華寺 岐阜県 関市 植野

源頼政の首塚 金宝山 蓮華寺

 源頼政の首塚は、岐阜県関市植野(旧美濃国山県郡上野村)にある金宝山 蓮華寺に所在しています。

 治承4年(1180年)、平家追討の挙兵(宇治川の戦い)に失敗した源頼政は、平等院の釣殿で自害しました。
 頼政の遺命を受けた家臣の渡辺省(わたなべ はぶく)が、頼政の首級を切り落とし、縁者の里であった美濃国植野へと持ち帰りました。渡辺省はこの地に首を埋めて供養しました。これが現在の首塚の始まりとされています。

 蓮華寺は一時期荒廃していましたが、江戸時代初期に尾州家の家臣である石河正光(1,300石)によって菩提寺として再興されました。
 首塚には、頼政を称える「蓮華寺殿正三位源頼政」と刻まれた石碑が建てられています。

 頼政の最期については『源平盛衰記』などの古典にも記されていますが、この美濃の地にある首塚は、頼政の忠義と彼を支えた家臣・縁者の絆を物語る史跡として今日まで伝わっています。

蓮華寺緣起

 頼政の首塚は寺を囲む小高い山の上にある。寺の境内が一望に見渡せ周囲の田畑が続く源平の合戦の一方の旗頭としてその知将ぶりをうたわれた頼政である。美濃路の片田舎に葬られるとは生前に考えたことがあるのだろうか。明治の歌人税所敦子が頼政の死を歌に託している。

なととぎす
 雲井に泣きし夢さめて
  扇の芝に秋風ぞ吹く

 治承4年(1180)源頼政が以仁王を奉じ平家打倒の挙兵をしたが敗れ宇治で自刀した。この首級を家来である渡辺播磨二郎と猪早太が頼政の伯父、山県三郎国直の居地である美濃国山県群上野(植野)へ葬った。これにより、国直の妹(参議俊雅の母)が頼政追善のこの地に金光山蓮華寺を建立した。

 尾張藩家老石河正光はごの墓所である蓮華寺が500年の歳月を経て荒廃しているのを嘆き、この地が領地であり且つ頼政は縁祖であることから寛文6年(1666)源頼政の500年忌を盛大に営み菩提寺として蓮華寺を再興、大和長谷寺の僧小池信海を開山とした。

 境内にある高さ3mの亀が台座の墓碑は500年忌に石河正光が建てたもので、源頼政の首級が葬られた経緯並びに500年忌を営んだ経緯などが記されている。碑文は江戸時代の儒学者林羅山の孫林常春が選したものである。なお蓮華寺の寺号は源頼政が出家して蓮華寺と号したことによると伝えられている。

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