●土岐市

浅野館(あさのやかた)跡 多度神社 岐阜県 土岐市 肥田浅野笠神町

 浅野館は、鎌倉時代の初期、土岐氏二代目の土岐光行(とき みつゆき)によって築かれた居館です。承久の乱(1221年)で朝廷方として参戦し、守護職を没収された光行が、父・光衡の拠点であった土岐郷(瑞浪市一日市場)を去り、この地に隠棲しました。

 土岐川の南岸に位置し、北側は川の断崖を利用した天然の要害となっています。一方、東・西・南の三面は田畑よりわずかに高く築土された平坦な地形で、広さは一町余(約100メートル四方)でした。土岐川を挟んで対岸の大富館(土岐市泉町)と相対しており、土岐郷へ至る西の門戸を固める重要拠点でもありました。

 浅野館の最大の特徴は、他の土岐氏の館に比べて「無防備」に見える構造です。川岸には石垣を積んで浸食を防いでいますが、全体としては要害性が低い造りになっています。これは、承久の乱で幕府に敵対した光行が、鎌倉幕府に対して「二心を抱いていない(反逆の意図がない)」ことを示すための政治的な配慮であったと推察されています。

 光行はこの館に隠棲し、土岐氏は一時的な没落期を迎えましたが、その後の勢力回復(中興)に向けた土台をこの地で守り抜きました。光行が幕府の恩顧を捨ててまで朝廷に尽くした行動は、後の土岐一族の「勤皇精神」の模範として語り継がれ、正中の変(1324年)に立ち上がった土岐頼兼らにも大きな影響を与えました。

土岐光行の墓

 浅野神社の石段下、左側に位置しています。現在も「吟鶴山 永松寺」境内に石塔群が残り、土岐市の史跡に指定されています。

 浅野館は、土岐氏が美濃の守護として再び返り咲くまでの、一族の誇りと歴史を刻んだ重要な場所です。土岐市・瑞浪市周辺に点在する土岐氏ゆかりの城館跡の中でも、特にその「精神性」を象徴する遺跡といえます。

多度神社(たどじんじゃ)

土岐市肥田町浅野三二四
【祭神】天津彦根命
【例祭日】七月二十日
【由緒】創祀不詳。享保五年(1720)五月五日再建。

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