



天文年中(1540年頃)の創建時は真言宗のお寺でしたが、その後僧侶が交代する際に曹洞宗となりました。
増福寺という名を表すように、山門前では七福神の石像が福福しい顔で出迎えてくれます。
当山は、日吉町南部のほぼ中央にあって、 「郷社 酒波神社」の奥の院として、天文年間(1532~1555)に、真言宗の寺として開創された。
慶長5年に玄室芳頓首座(中興開基)が、元、久々利城主、地頭ー千村丹左衛門(開基)の力をかりて復興し、宗派も曹洞宗に改めた。
寛文2年(1662)本末改め制度によって、開元院第十二世領外秀存大和尚を勧請して開山に迎え、浮沈の時代を経て、現在第二十世に至っている。
本尊は阿弥陀如来で、観音堂には十一面観音や十王像など、古くからの仏像が祀られている。又、当寺には、「妙理の宝珠」という宝物がある。この珠は境内の池の中、蓮華岩の下から掘り出され、人体程の微温を発した霊妙不可思儀の珠であり、ここから山号を妙理山を名付けたのである。
(美濃瑞浪三十三霊場より)