



夢窓国師創建小堂の後の中世の代官寺が廃絶し、元禄十六年(一七〇三年)太田の祐泉寺より聾堂(ろうどう)和尚徒弟祖元和尚が来て、地蔵寺として再建し地蔵菩薩を本尊としたが、天保年間以降無住となって、明治に至り廃絶し、普済寺に合併したという。
その後、地蔵堂を再建して本尊を祀った。世に伽羅仏といい、今は大牧の集会所に祀り、お詣りしている。仏像は身の丈二尺三寸一分で、材は伽羅というが風化もひどく断定できない。
寺の旧跡は、大牧地区の墓地となっている。
(『萩原郷土誌 水穴』より)
夢窓国師創建小堂の後の中世の代官寺が廃絶し、元禄十六年(一七〇三年)太田の祐泉寺より聾堂(ろうどう)和尚徒弟祖元和尚が来て、地蔵寺として再建し地蔵菩薩を本尊としたが、天保年間以降無住となって、明治に至り廃絶し、普済寺に合併したという。
その後、地蔵堂を再建して本尊を祀った。世に伽羅仏といい、今は大牧の集会所に祀り、お詣りしている。仏像は身の丈二尺三寸一分で、材は伽羅というが風化もひどく断定できない。
寺の旧跡は、大牧地区の墓地となっている。
(『萩原郷土誌 水穴』より)