



当神社創立は、古文書「小里記」中に、「弘治3年(1557)下山田住人安藤東左衛門の子、又七郎が大明神森下にて殺された」と書かれていることにより、弘治3年以前にお宮が祀られていたと推定されます。また、棟札に「本願主、岩島清太夫、土屋利兵衛重家、南無大日本國山田村八幡宮御宝殿再造立之処敬白、寛永15戊寅年(1638)8月」と記されており、それ以後、八十数年経った後に再建されていることがわかります。
神社の南下の処に、当宮の守り寺として八幡山神誓寺(じんせいじ)が舜栄法師により、寛文8年(1668)に創建され、この頃から、本格的に神仏習合の宮となったと思われます。
神誓寺跡地は現在は畑になっており、古井戸が残っております。神社の南山の山頂には社僧の墓碑が静かに立ち並んでおります。
八幡宮が、明治6年、村社八幡神社と改められ、本殿の屋根は桧皮葺であったので、三十年から四十年ごとに葺替(ひわだぶき)えられた棟札が数多くありますが、平成六年、特志寄付等により、銅板葺に葺替えられ、同時に修理も行われ、鎮守の杜としての偉風と、伝統ある祭事を守り続けております。